「特攻を美化してはだめ」 元隊員ら、戦争知らない若者に警鐘

2014年08月15日 11:28
 
img_65db197b072ac5aadf271a2ccba59b83191070

【8月15日 AFP】神風特攻隊の元パイロット、カンベ・ユタカさん(91)は、70年近く前に死んでいるはずだった。

第2次世界大戦(World War II)末期、勝利への執ようなねばりをみせる日本を特徴付けた自殺攻撃。死んでいった数千人の隊員と同じ運命からカンベさんを救ったのは、1945年8月15日の日本の降伏だった。

だが歳を重ね、再び死を身近に感じるようになったカンベさんは、安倍晋三(Shinzo Abe)政権下での政治の右傾化や、神風特攻隊を美化する最近の映画が、日本の若い世代から戦争の恐ろしさが失われたことを示しているのではないかと不安を感じている。

「あれはやっぱり正気の沙汰ではない。美化することなんて賛成できない」と元海軍パイロットのカンベさんは、連合国軍の艦艇に航空機を墜落させるよう命じられた若者たちについて語った。

「安倍首相みたいなのばっかりになれば日本は戦争になる。正直言って、俺は死んでいくけど、日本の将来は心配だ」

神風パイロットは、戦時下の日本で英雄だった。昭和天皇(Emperor Hirohito)と国の名の下で行われる彼らの自己犠牲は新聞の一面を飾った。

神風特攻隊は戦争末期、連合国の勝利を阻止しようとする絶望的な努力の中で結成された。およそ4000人が死亡した作戦は、特攻隊の大半が標的に達する前に撃墜されたとはいえ、敵国の兵士を震え上がらせた。

■「国や家族のために命をなげうった」

神風特攻隊の生存者数については公的な統計はない。特攻隊は現代の教科書にもほとんど記述されていなく、人々の記憶の中から薄れて行った。

だが、同名のベストセラー小説を映画化した『永遠の0(The Eternal Zero)』は今年の初めにヒットを記録し、特攻隊の記憶を人々によみがえらせた。

映画のストーリーは、妻に生きて帰ると約束したことから特攻を拒否していた海軍パイロットが、最終的に戦友に家族の面倒を託し特攻を選ぶというもの。

都内の大学に通うナカムラ・ツルギさん(18)は映画鑑賞後に「僕は特攻隊員を尊敬します。彼らは国や家族のために命をなげうった」と語った。「特攻隊は格好いい。かれらのミッションを非難することはまちがっていると思う」

元神風パイロットのカガワ・コウゾウさん(89)はこうした議論にはほとんど関心を示さない。

カガワさんは、特攻の善悪に審判を下すことは拒否するが、いたずらに命を落としていった仲間のパイロットたちの光景が、今もまだ頭を離れないという。カガワさんの番はついに来なかった。

「われわれ生き残った特攻隊員はそれが正しかったとか悪かったとか判断できない。でも連中の顔を思い出しながら『悪かったな、貴様だけ殺してしまって』と今でも御霊に声をかける」

鹿児島県南九州市は今年、神風特攻隊の遺書を国連の記憶遺産に登録申請し、中国と韓国から反発を買った。また安倍首相は7月に集団的自衛権行使を認める憲法解釈の変更を強行し、国内で激しい抗議の声を巻き起こした。

カガワさんにとって、特攻が間違いだったことは疑いようがない。だが日本の軍事力を純粋に自衛だけの役割に制限しておくべきかどうかについては、そこまで確信が持てない。

「特攻は二度とあってはならない。でも、平和はタダじゃない」「防衛なしに平和はまもれない。安倍総理は少し急ぎすぎているような気もするが、やっていることは理解できる」とカガワさんは語った。

■「これは映画じゃない」

終戦69年の節目となった15日、日本の政治家らは毎年恒例の靖国神社参拝を行った。靖国神社には約200万人の戦没者が祭られている。その中には神風パイロットたちも含まれているが、戦争犯罪者として有罪になった大日本帝国の最高幹部たちも祭られていることが中国と韓国の怒りを買っている。

安倍首相は昨年12月に靖国神社を参拝し、周辺国から非難され、米政府からも警告を受けた。支持者にとって安倍首相の靖国参拝は愛国心を意味するが、批判者は安倍首相が修正主義的な歴史観をもてあそんでいるさらなる証拠だと言う。

日本が戦争を行った過去を美化しようとする行為は見当外れだと、元特攻隊のアサノ・アキノリさん(85)は語る。終戦記念日は自宅で一人で過ごし、帰還しなかった人々を追悼する予定だ。

アサノさんは、「桜花」と名付けられた悪名高い航空特攻兵器の部隊に所属していた。全長6メートルの桜花は航空機というよりは空飛ぶ爆弾だった。敵艦に到達するのに十分な、短い時間だけもつロケットエンジンを搭載した機体だった。

「『特攻に志願してなぜ死ななければならなかったのか』という質問はナンセンス。われわれには『できません』という選択肢はなかった。これは映画じゃない。今の若い人には理解できないと思う。今はただ平和を祈るだけ」とアサノさんは語った。(c)AFP/Shingo ITO

参照元 : AFP BBNEWS


永遠の0 結局特攻を美化する危険な映画

image20131114_1145

お国のために死ぬことよりも愛する家族のためのに生きようとした宮部久蔵。臆病者、卑怯者と言われても、けして簡単に死ぬことを選ばなかった彼の生き様。特攻に志願した多くの若者がけして喜んで行ったのではなく、生と死の狭間で苦悩しながら、その道を選択せざるを得なかったこと…。

一見戦争の悲惨さ、不条理、家族愛を訴えているような作りだが、結局、それでも特攻で命を国に捧げた若者たちを賞賛している。国家体制を守るために、上から命令されたことに上意下達で従う兵士としてのありかたを賞賛している。

賞賛というと語弊があるかもしれないが、そうした兵士の生き様を、とても共感できる崇高な国民のあり方として、感動を誘うような描き方をしているところがとても危険な映画なのだ。

特攻という作戦はまずかったが、あるいは軍令部の作戦はまずかったが、それでも国を愛し、家族を守るために命を惜しまず戦うことは崇高なことなのだというメッセージを見る者に送る危険な内容の映画だ。

百田尚樹の原作には比べれば国家主義的愛国心の押しつけは多少マイルドになっているものの、観る者の涙を誘いつつオブラードに包んだように、国のために命を捧げ死んでいく兵士の姿を描いている点で、原作以上に危険といっても過言ではない。

教育基本法を改悪して愛国心を強制する道徳教育を学校に強制し、特定秘密保護法を制定して不都合な真実から国民の目をそらし、靖国神社に参拝してこの戦争の指導者だったA級戦犯に尊崇の念を表し、憲法を改正して戦争のできる国作りを目指す総理大臣にはにとっては、いたく感動する内容の作品だったことは想像に難くない。

軒並み評価が高いようだが、この映画の訴えようとしてることが何なのか、原作と併せて注意深く考えていかなければならないのではないかと思う。
 
参照元 : ぴあ映画生活

結局特攻を美化する危険な映画 2014/1/5 14:13 by かめちゃん

同感です。何も知らない能天気な方は靖国神社に誇らしげに展示してある「人間魚雷」について検索してみてください。敵陣に突入する際、乗組員が脱出しないよう出入り口を溶接して発射する魚雷です。血塗られた愚行の証拠、愚かな時代の象徴でしかありません! どのような形でも特攻隊など一切賛美すべきではありません。

> 特攻という作戦はまずかったが、あるいは軍令部の作戦はまずかったが、それでも国を愛し、家族を守るために命を惜しまず戦うことは崇高なことなのだというメッセージを見る者に送る危険な内容の映画だ。

> 百田尚樹の原作には比べれば国家主義的愛国心の押しつけは多少マイルドになっているものの、観る者の涙を誘いつつオブラードに包んだように、国のために命を捧げ死んでいく兵士の姿を描いている点で、原作以上に危険といっても過言ではない。

> 教育基本法を改悪して愛国心を強制する道徳教育を学校に強制し、特定秘密保護法を制定して不都合な真実から国民の目をそらし、靖国神社に参拝してこの戦争の指導者だったA級戦犯に尊崇の念を表し、憲法を改正して戦争のできる国作りを目指す総理大臣にはにとっては、いたく感動する内容の作品だったことは想像に難くない。

> 軒並み評価が高いようだが、この映画の訴えようとしてることが何なのか、原作と併せて注意深く考えていかなければならないのではないかと思う。

特攻隊は美化されるべきですか 批判されるべきですか?

ベストアンサーに選ばれた回答

kouyouchinbutaiさん 2013/11/1311:10:04

徹底的に批判されるべきです。勝てるわけのない戦争を始め、案の定無茶苦茶に負け始めて自暴自棄になった軍部が始めたやけくその戦術でした。人間を兵器の一部に組み込み、使う人間が死なないと機能しない武器など、どの時代でも許される事ではない。そんな事を国の方針として組織的に行なったのは世界の歴史で日本だけです。長くて華麗な日本の歴史に泥を塗った。あの東郷平八郎聨合艦隊司令長官も言いました、「決死隊はいいが必死隊はいかん」と。

最初は米軍も予想もしていなかったので成功しましたが、早速アメリカ得意のORの手法などを駆使して対策を講じ、空母機動部隊のはるか外周を囲む対空駆逐艦によるピケット・ライン、機動部隊周辺及び上空を護る戦闘機群、そして猛烈な対空砲火、と二重、三重の防御体制を構築。戦艦や空母は回避運動を、小型艦は艦の安定性を保つ為(対空砲の命中率に影響する)直進、、、この様な対策まで立てた。その為に特攻機の命中率はせいぜい3%ほど。そして撃沈率はもっと低く、戦勢を挽回する事はもちろん米軍の侵攻速度を遅らせることすら出来なかった。

にも拘わらず次から次へと特攻隊を出撃させ、そのうち「とにかく死んでこい」になってしまった。フィリピンの海軍航空隊基地の飛行長だった中島正・中佐は、米軍が設置した桟橋に体当たりを命じられたある大尉が「いくらなんでも桟橋とは、、、空でもいいからせめて輸送船に」と言ったら、「文句を言うんじゃない!特攻の目的は戦果ではい。特攻の目的は死ぬ事だ!」と怒鳴りつけた。中島は自身もパイロットだったにも拘わらず特攻にはいかず、戦後も生き延びて「神風特別攻撃隊」というウソだらけの本を書き、特攻隊員を美化、神格化して指揮官としての自分たちの無能、無責任を隠そうとした。

フィリピンの陸軍航空特攻を指揮していた富永恭二中将は、大げさな儀式を行なって「諸君は生きながら既に神である。本職も最後の一機であとを追う」と特攻隊を送り出していた。マッカーサー軍が迫ってくるとまだ上陸もしていないのに特別機を仕立て、司令部の許可も受けないでお気に入りの少数の参謀と芸者を連れ、ウィスキーの瓶を沢山のせて台湾に逃亡。

陸軍第六航空軍司令官・菅原道大中将は、「お前たちだけを行かせはしない。必ず最後の一機であとを追う」と特攻隊を送り出し、エンジン不調などで特攻機が戻ってくると、「卑怯者!死ぬのが怖いのか!」と殴り倒した。敗戦で参謀が自決をすすめると「死ぬだけが責任を取ることではない」と逃げ回り、結局戦後の平和で豊かな生活を楽しんで96歳で極楽往生。17歳で特攻戦死した少年航空兵はあの世でなんと思っているでしょうね。

特攻を企画し指揮したものは、多くの若者を殺し結局は敗戦に終わってしまった責任を取ることもなく戦後もゆうゆうと生き延びた卑怯者ばかりです(責任を取って自決したものは片手で数えられるほど。宇垣特攻はひどすぎて勘定に入れない)

特攻の99%は強制、つまり命令でした。もちろん中には志願して勇んで出て行ったものもいましたが、例外ですね。撃墜王の坂井三郎、岩本徹三はこう書いています、「出撃したら絶対帰ってこられないと分かっていて士気が上がるわけがない」「特攻命令が出たら部隊の空気は目に見えて暗くなった」、と。当然ですね。

しかし17歳からの若者たちは、それで戦争に勝てるわけのない事を知りながら、必死に自分を納得させ(納得仕切れなかったものも沢山いた)、断ち切ろうと思っても断ち切れない故郷、親兄弟、妻、恋人たちへの思いを断ち切って出撃していった。哀れです。

靖国神社や知覧の特攻紀念館に飾られている特攻隊員の遺書はそれなりにウソではありませんが上官の検閲を受ける建前の遺書で、本当の心はもっと深いところにありました。特攻隊員の本音の手記を二、三紹介します。

学徒出身・海軍少尉。沖縄で特攻戦死(名前は失念)
「暗い日が無限に続く予感のみする。その終末がもし死であったら、恐ろしい時代だ」「今年の秋はさびしく冷たい風が吹きすさび、残るものは何もなくなろう、、、すべては崩壊する。日本に終末がくる」

日野原海軍少尉(東大出身)沖縄で特攻戦死
「一番心残りに思うのは、、、恥ずかしいから書きません。いや、やっぱり、つまり、お母さんのそばにいてですね、もっと色々喜ばしたり厄介をかけたりしたかった、こんな事を書くといつになったら大人になるのかと我ながらちとくすぐったいですが、まあ本当だからいいでしょう」

林市造海軍少尉・沖縄で特攻戦死
「お母さんからもらった聖書と賛美歌を飛行機につんで突っ込みます」

彼らのお陰で今の日本があるという人もいますが、そうは思いません。特攻に出て行った若者たちはみんな優秀で明るい好漢ばかり。彼らが生き残っていたら戦後の日本の復興も更に早く華やかだったと思います。

参照元 : yahoo知恵袋