[竹下雅敏氏]白龍会の総長・杉山茂丸と黒龍会の総長・永野重雄 〜日本経済の操縦桿を握っていた日銀総裁経験者が属していた組織〜

2016/04/25 8:30 PM

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竹下雅敏氏からの情報です。

私が最初に五龍会の存在を知ったブログの記事を引用しています。書かれている内容は正しいと思います。記事によると、この五龍会を“仕切るのが八咫烏”とのことですが、その通りだと思います。

これまでの記事で、五龍会の中心である黄龍会の総長が、大日本皇道立教会の会長であった中山忠英だったのではないか。赤龍会の総長は上原勇作で、緑龍会の総長は上田吉松だったのではないかと説明しました。残り白龍会と黒龍会ですが、下の記事に総長であった人物の名前が出て来ます。

白龍会の総長は、裏天皇・堀川辰吉郎の後見人の杉山茂丸だったはずです。杉山茂丸は島津の出であることが示されており、元記事には“政治結社玄洋社は頭山満・平岡浩太郎を社長に仰いだが、隠れた社主が茂丸であったことは謂うまでもない”とあります。ここから、白龍会の総長が杉山茂丸であり、その実質は玄洋社であったことが理解出来ます。

黒龍会の総長は、自分の息子の嫁が堀川辰吉郎の娘だった永野重雄のはずです。皇室においても天皇との距離の近さが権力の証ですが、これは裏天皇組織も同様だと考えられます。“日本財界の重鎮”であった永野重雄と、財福を司る大黒様のイメージを重ね合わせると、永野重雄が“黒”龍会の総長だったというのは、自然ではないでしょうか。

これまでの記事での内容をまとめると、以下のようになります。

八咫烏総長:堀川辰吉郎
緑龍会総長:上田吉松
赤龍会総長:上原勇作
黄龍会総長:中山忠英
白龍会総長:杉山茂丸
黒龍会総長:永野重雄

私は、永野重雄氏についてほとんど何も知らないのですが、どうも当時の日銀総裁(一萬田 尚登)を含む有力者とグループを形成していたようです。戦後日銀総裁経験者が日本経済の操縦桿を握っていたというのが、リチャード・ヴェルナー氏の見解ですが、その通りだと思います。ただ、彼らがどのような組織に属していたのかがこれまで謎だったのですが、ようやく今回その正体を突き止めることが出来ました。

(竹下雅敏)

地底人の謎について(3)
引用元) 日本と世界の情報ブログ 14/4/1
カール・ハウスホッファーと緑龍会

(中略)

ハウスホッファーは、日本滞在中に、政治的秘密結社「緑龍会」に入会している。緑龍会に入会できた白人は彼を含めて3人しかいない。日本の神秘思想に触れたことで、やがてドイツとの同盟が実現し、かつナチス・ドイツに強い影響を与えた。

(中略)

緑龍会のほかに黒龍会、赤龍会、白龍会、黄龍会が存在する。五龍会の色は、すべて道教や風水で言う四神になぞらえている。北「玄武」の黒、東「青龍」の青=緑、南「朱雀」の赤=紅、西「白虎」の白、中央の「麒麟」の黄に由来する。五龍会は京都の御所を中心にして、それぞれ北、東、南、西、中央に本部が置かれた。

五龍会は決して政治の表舞台には出てこない。徹底した秘密組織である。そして、仕切るのが八咫烏である。内田良平の黒龍会は、五龍会の黒龍会ではない。しかし、無関係ではない。大アジア主義を掲げる黒龍会を通じて、八咫烏は密かに国際的な戦略を実行していく。

(以下略、続きは引用元でご覧下さい)

――――――――――――――――――――――――

引用元) 紀州文化振興会 日付不明

(前略)

京都に残った皇統の中核は、俗姓堀川を称する辰吉郎で、その後見人に杉山茂丸(一八六四〜一九三五)が選ばれて以来、杉山の拠る玄洋社が辰吉郎の支援勢力として台頭した。(中略)…茂丸は龍造寺の男系杉山姓を称したが、実は島津重豪の九男で黒田藩主となった黒田長溥(一八一一〜一八八七)の実子で、島津重豪の実孫でもあるから、島津斉彬・久光兄弟の父斉興とは従兄弟の関係にあった。

(中略)

辰吉郎は、国民党ナンバー2として終始蒋介石を支えた張群の長子に娘の一人を嫁がせたという(中矢伸一『日本を動かした大霊脈』)が、孫文の死去後も国民党との関係が途絶えなかった一証であろう。また、他の娘は富士製鉄(現社長新日鉄)の創業者で日本財界の重鎮となった永野重雄の子息辰雄の室に迎えられた。

(以下略、続きは引用元でご覧下さい)

参照元 : shanti-phula


[竹下雅敏氏]大日本皇道立教会の歴代会頭・副会頭 〜 八咫烏の政界工作組織・五龍会の中枢「黄龍会」の本体は大日本皇道立教会ではないか

2016/04/24 11:21 PM

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竹下雅敏氏からの情報です。

八咫烏は政治に関与せず、下部組織の五龍会が政界工作をしているらしい、ということを前回説明しました。 明治維新において決定的な役割を果たした天忠党の後継団体に、大日本皇道立教会があることを、何度か紹介して来ました。私の考えでは、大日本皇道立教会は、裏天皇・堀川辰吉郎に仕えていた政治結社ではないかと考えています。

貴嶺会のサイトにある貴嶺会関係組織図によると、

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となっています。

以下に大日本皇道立教会の歴代会頭、副会頭を紹介します。情報元はこちらです。

人物像を見ていると、やはり血の繋がりというか、血筋が優先されるのだと思います。会長の中山忠英は、天忠党の総督中山忠伊の子です。忠伊は実は光格天皇の皇子であったわけで、天皇の孫の中山忠英が会長になっているわけです。

前回の記事で、五龍会の一つの赤龍会の総長が上原勇作だったのではないかということを示しましたが、上原勇作と中山忠英では、血筋の上で圧倒的な開きがあります。五龍会の中枢は東西南北の“中”を意味する黄龍会ですが、おそらく、黄龍会の総長はこの中山忠英であっただろうと思います。要するに、黄龍会の本体が大日本皇道立教会なのではないでしょうか。

(竹下雅敏)

大日本皇道立教会 歴代会頭・副会頭

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土方 久元 大日本皇道立教会初代会頭
1833年11月23日〜1918年11月4日
称号 伯爵 従一位 勲一等旭日桐花大綬章
日本の旗 第2代 宮内大臣(在任期間1887年9月16日 - 1898年2月9日)
日本の旗 第2代 農商務大臣(在任期間1887年7月26日 - 1887年9月17日)

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千家 尊福 大日本皇道立教会初代副会頭

1845年9月7日〜1918年1月3日
前職 神道大社教管長
称号 従二位 勲一等旭日大綬章 男爵
日本の旗 第14代 司法大臣(在任期間1908年3月25日 - 1908年7月14日)

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四条 隆愛 大日本皇道立教会第二代会頭
1880年6月8日〜1938年10月2日
陸軍軍人。陸軍騎兵少佐従二位勲三等侯爵となり、貴族院議員を務めた。元老院議官四条隆謌陸軍中将侯爵の子で、四条隆生の孫。妻の糸子は江戸幕府最後の征夷大将軍である徳川慶喜公爵の娘。家格は羽林家。

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三島 彌太郎 大日本皇道立教会第二代副会頭
1867年5月4日〜1919年3月7日
前職 銀行家
称号 勲三等旭日中綬章
日本の銀行家。子爵。三島通庸の長男で、最初の妻は大山巌の長女信子、離別後四条隆謌侯爵の三女加根子と再婚。1897年(明治30年)の第2回伯子男爵議員選挙で貴族院議員に当選。議員生活の傍ら金融業に深く関与。横浜正金銀行頭取を経て、1913年(大正2年)第8代日本銀行総裁に就任。

写真出典: 四条侯爵家 羽林家

四条隆徳 大日本皇道立教会第三代会頭

1907年3月 〜1977年11月 父・四条隆愛

写真出典: 高鍋町名誉町民(推載順)

秋月 左都夫 大日本皇道立教会第三代副会頭
1858年2月24日 〜1945年6月25日
日向国生れの外交官。宮内省御用掛、正三位・勲一等。スウェーデン公使、駐ベルギー公使、オーストリア特命公使を歴任後、大正3年(1914年)に退官。大正8年(1919年)のパリ講和会議では全権顧問をつとめた。読売新聞社の編集顧問(後に社長)、京城日報社長。 政治家の古島一雄らとともに創価教育学会(創価学会の前身)の設立にも尽力した。

以上の画像の出典)
土方久元

千家尊福

四条隆愛

三島彌太郎

秋月左都夫

参照元 : shanti-phula


[竹下雅敏氏]八咫烏の下部組織「赤龍会」の総長だったと思われる陸軍軍人・上原勇作 〜日本の真の支配層は古代イスラエル人の末裔である〜

2016/04/23 10:30 PM

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竹下雅敏氏からの情報です。

八咫烏は政治に関わりません。政治工作は五龍会と呼ばれる直属の組織が行っていたと考えられています。陰陽五行説では、東西中南北を、青(緑)、赤、黄、白、黒で表します。これに対応して緑龍会、赤龍会、黄龍会、白龍会、黒龍会となります。これらの秘密結社はベンジャミン・フルフォード氏の語るホワイトドラゴン、レッドドラゴン、ブルードラゴンとはまったく別の組織で、あくまでも八咫烏の下部組織です。

今日紹介するのは、上原勇作という人物で、彼は非常に大きな影響力を持った陸軍軍人でした。私は、彼が赤龍会の総長だったと考えています。ウィキペディアにある強力な軍閥(上原閥)が赤龍会ではないかと思います。

次の記事は、上原勇作の部下であった吉薗周蔵について書かれたものです。下の系図を見ながら文章を追うと、わかりやすいと思います。系図の渡辺ウメノと上田吉松に関しては、元記事をご覧下さい。

この文章の中で、吉薗周蔵の祖母ギンヅルは“上原勇作の叔母だった”とあります。要するに一族なのです。元記事の中で、“上田家は、古代に渡来したイスラエル族の子孫”とあります。また系図の渡辺政雄は、“「ユダヤ民族が古代に日本に流れ着いた。自分はその子孫である」と周蔵に教え…上原勇作も…「ユダヤ」だと指摘した”とあります。

これまで何度も、日本の真の支配層は古代イスラエル人の末裔であると言って来たのですが、それが正しいとわかるのではないでしょうか。

(竹下雅敏)

上原 勇作
引用元) Wikipedia 日付不明

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上原 勇作(うえはら ゆうさく、安政3年11月9日(1856年12月6日) - 1933年(昭和8年)11月8日)は、明治〜昭和期の陸軍軍人。

元帥陸軍大将従一位大勲位功二級子爵、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス(GCMG)。

陸軍大臣、教育総監、参謀総長。

日向国都城(現宮崎県都城市)出身。妻は野津道貫の娘、槙子。山縣有朋、桂太郎ら長州閥の元老凋落の後に陸軍に君臨し、強力な軍閥(上原閥)を築き上げた。 上原閥に属する者に荒木貞夫、真崎甚三郎、柳川平助、小畑敏四郎らがいた。

陸軍大臣、教育総監、参謀総長、元帥の「陸軍三長官」を歴任したのは帝国陸軍史上、上原と杉山元の2名のみである。

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吉薗周蔵
引用元) 紀州文化振興会 日付不明
日本近代史の真相
陸軍の裏側を見た吉園周蔵の手記
落合 莞爾

近代史の核心に触れる第一級資料

『陸軍特務吉薗周蔵の手記』は、元帥上原勇作付の陸軍特務吉薗周蔵が自らの経験と見聞を記した手記を、ある月刊誌のために落合が解読して解説を加えたものである。

(中略)

周蔵の血筋はしかし、吉薗家代々のものではない。父は吉薗家のギンヅルが生んだ公家堤哲長の子で、吉薗林次郎と称した。(中略)…母のキクノは隼人系の木下家から嫁いできたが、その母系は未詳である。

(中略)

周蔵の人生路線の始点は、時の陸軍大臣上原勇作との関わりである。その路線を敷いた祖母ギンヅルのことは今日まで全く世に知られてはいないが、大正・昭和初期の陸軍を二〇年にもわたって支配した上原元帥の叔母に当たり幼少から育てた上原を通じて日本近代史を裏から動かしていた人物なので、ここにその背景を詳述しておきたい。

ギンヅルは天保七年(一八三八)に生まれ、昭和六年(一九三一)に他界した。父は都城藩士の四位次兵衛昌張、母は後妻の岩切氏(名不明)である。(中略)…岩切某女は、双子の女児を生んだため畜生腹として四位家を逐われ、妹娘のツルを抱いて入水を遂げた。

(中略)… 六歳になった天保一二年(一八四一)、ギンヅルは吉薗喜佐に嫁入りする叔母岩切某女の連れ子と成り、喜佐夫妻の養女となった。

(中略)…

翌年、弟の萬助(一八四二〜一九〇一)が生まれた。(中略)…吉薗家に居づらかったギンヅルは、自ら志し、一五歳にもならぬ身で単身京に上り、実家岩切氏の縁を辿って京の薩摩屋敷に出仕した。(中略)…そこで公家の堤哲長と知り合う。直ぐに哲長の妾となったギンヅルは薩摩藩邸を出て京の市中に一家を構えた。

(以下略、続きは引用元でご覧下さい)

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PDFデータ

参照元 : shanti-phula


[竹下雅敏氏]皇道立教会・緑龍会(八咫烏直属の結社)・北朝鮮王家との繋がりを示す系図

2016/04/10 11:19 PM

竹下雅敏氏からの情報です。

前回、貴嶺会関係組織図の皇道会総裁の久邇宮朝彦に注目しましたが、今回は、その後継の組織である皇道立教会を加えてみます。

皇道立教会の総裁・伏見宮貞愛と久邇宮朝彦は兄弟です。下の系図をご覧になるとわかりますが、伏見宮貞愛は有栖川宮を介して上田家と繋がります。系図を見ると、半島の王家の人脈とがっちり結びついているのがわかると思います。

系図を見て、この上田音吉という人物は一体何者なのかと思うのが自然ではないでしょうか。私の考えでは、上田音吉は八咫烏直属の秘密結社・緑龍会の総裁です。カール・ハウスホーファーは、日本のドイツ大使館付武官として勤務した際に、緑龍会に入会したと言われています。孫の笹川良一は、ヒトラーとムッソリーニに会っていますが、これは通常考えられないことです。しかし、ヒトラーの師であったカール・ハウスホーファーが緑龍会のメンバーで、総裁の孫が笹川良一であれば、これは可能だったと考えられます。

緑龍会の総裁は、その後笹川良一から現在の笹川陽平へと移っていると考えています。そうでなければ、笹川が、“私的な賭博運営を政府から許可された唯一の人物”なのが不可解です。また、笹川財団の下部組織の日本財団がジャパン・ハンドラーとの会合の場を設定している理由がわかりません。海底掘削船「ちきゅう号」の不可解な動きも考慮すると、上記の推論にかなりの信憑性が出て来るのではないかと思います。

もっとも私の中では推理ではなく、直観的事実です。この辺りのことは、レイノルズ一家にも書いていますので、参考にしてください。

(竹下雅敏)

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貴嶺会関係組織図
記事配信元) 貴嶺会 日付不明 本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。

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皇道立教会総裁・伏見宮貞愛の系図

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画像の出典:
伏見宮邦家親王

有栖川宮幟仁親王

貞愛親王妃利子女王

伏見宮貞愛親王 有栖川宮 熾仁親王

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伏見宮邦家・有栖川宮幟仁・上田音吉〜金正恩の系図


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PDFファイルはこちら

参照元 : shanti-phula

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