本日初公判、全国最年少市長・藤井浩人が激白!「『自白しないと美濃加茂市を焼け野原にする』と言われました」

2014/9/17 06:00
 
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全国最年少市長として話題になった藤井浩人(ひろと)・美濃加茂(みのかも)市長(30歳)が、市議会議員時代に浄水装置の導入をめぐって計30万円の賄賂(わいろ)を受け取ったとして逮捕・起訴された事件の初公判が本日、名古屋地裁で開かれる。

公判でも一貫して無罪を主張するという藤井市長に、ジャーナリストの江川紹子氏が直撃インタビューを行なった。

■コーヒー一杯にも気をつけていた

―捜査の動きはいつ頃から感じていましたか。

藤井 今考えると、兆候はゴールデンウイーク明け頃。少し前に防災と教育の担当課長が警察から呼ばれたと聞いて、僕も事情を聞かれることがあるのかな、と。そうしたら、5月半ば、何かのパーティの席で、ある国会議員の秘書の方から「いろいろ疑いをかけられていたけど、嵐は過ぎ去ったからよかったね」と言われたんです。「30万円」という金額は、このときに教えてもらって初めて知りました。

「今後は気をつけたほうがいい」と注意されたんですが、僕のほうは「気をつけるも何も、一体なんのことだろう……」という気持ち。6月に入るとマスコミが動き始めて、なんだか気持ちが悪いな、と。

―では、中林氏のことで疑われているとは知らなかった?

藤井 それは記者が教えてくれました。ただ、記者からいろいろ聞かれても、忘れていることも多くて……。(中林氏との)会食は4回あったらしいんですが、はっきり覚えていたのは2回。(10万円を渡されたとされる)ガストでの昼食は、完全に忘れていました。

庁内の担当者からも話を聞いて、事実確認や記憶の統一を図るべきだったのでしょうが、なんの対策もしないまま、僕自身が警察に引っ張られてしまったんです。弁護士にも、逮捕の1週間くらい前に一度、30分ほど相談しただけ。まさか逮捕される事態になるとは、予想もしていませんでした。

―どういう経緯で中林氏と接触するようになったのですか。

藤井 東日本大震災の被災地に何度か足を運んで、災害時の水対策の必要性を実感しました。飲料水だけでなく、手を洗うなど衛生面での水も大事なんだな、と。その後、名古屋の市議の方たちと話をしたときに、プールの水を浄化して災害時に役立てる浄水事業の研究をしている人がいると聞いて、話を聞きたいと思いました。

それで中林氏を紹介され、会って資料をもらいました。災害はいつ起きるかわからないですし、学校現場にそういう装置を置くことで、子供たちに対して防災意識の啓発にもなると考えたんです。

―中林氏の印象は?

藤井 口数は多くなく、汗をかいて働く中小企業の社長さんという感じ。食事はいつも割り勘でした、僕はコーヒー一杯、ランチ一食もごちそうにならないよう気をつけていたし、向こうも「議員にもお立場があるでしょう」と、無理におごろうとはしなかった。

―そういうところで、彼を信用した?

藤井 信用したというより、事業の提案内容に惹(ひ)かれました。市内の中学校のプールに浄水プラントを設置し、実証実験をやるというもので、費用は業者持ち。市としては、お金がかからずに試すことができる。

実際、藻が張ったプールの水は底が見えるまできれいになり、プラントの能力は悪くなかった。こういう好条件に目が行きすぎて、中林氏が信用できる人物かどうかについては、ちょっと置き去りになった反省はあります。

―当時、藤井さんは市議会議員。市長になって、この浄水装置についてはどうしましたか?

藤井 担当課長に任せていました。本格的に導入するなら入札になりますし、そういうことはうちの市は厳しくやってきた歴史がありますので。

■自分が罪をかぶれば、という思いもよぎった

―ところが、浄水装置の導入に関わったのは30万円の賄賂をもらったため、という容疑がかかり、任意同行されました。

藤井 取調室に入るなり、「お金をもらった話、はっきり事実を言ってください」と言われました。僕が「そういうことはありません」と答えた瞬間、(刑事は)持っていたクリップボードをバーンと机に叩きつけて、ふたりがかりで耳元で怒鳴(どな)り始めた。

―なんと?

藤井 「早く自白しろ!」「いいかげんにしろ!」「市長のくせにウソをつくな!」……それが3時間くらい続きました。ドラマとかだと、取り調べは怖い人と優しい人が交互に怒鳴ったり、優しい言葉をかけたりする、というイメージがあったんですが、両方怖かったので、これはまずい……と(苦笑)。僕は右耳が弱くて、耳元で怒鳴られると「キーン」となっちゃうので、これはもうすごい圧力でした。

―その後、逮捕されたわけですが、どんな気持ちでしたか。

藤井 逮捕状を見せられ、賄賂とされる30万円は、10万と20万に分けて2回ももらったことにされているのを知りました。本当にムチャクチャだと思いました。手錠をかけられたときの気持ちは忘れられません。信じられないというか、なんでこんなことになったのかな、という困惑。怒りより、戸惑いですね。訳がわからなくて……。

―中林氏が“自白”しているのも知らなかった?

藤井 はい。取り調べで「中林氏本人に聞いてもらえばわかる」と言ったんですよ。そうしたら、「中林は泣く泣く、藤井さんのことを話したんだ。その気持ちになんで応えないんだ」と言われ、「なんだ、それ!?」と驚いた。「ああ、そういうことになったのか……」と。そんなふうに、徐々に何が起きているのかを認識していきました。

―藤井さんのお父さんは岐阜県警の警察官でしたね。

藤井 ずっと現場の警察官で、くそまじめな人です。おやじからはずっと、「悪いことはするな」「人に迷惑をかけるな」と言われて育ちました。些細(ささい)なこと、例えば弟の髪の毛にガムをつけるようないたずらも、ボコボコに叱られました。

でも、進路を選ぶときは、全面的に子供自身に任せてくれる。市議会議員選挙に出たときも、親戚一同大反対なのに、おやじは「警察官だから手伝えないが、やりたいことをやればいい」と言ってくれました。子供の頃から、おやじを見て「警察は悪いやつと戦う仕事なんだ」「おやじは警察官だからすごいんだ」と誇りに思っていました。

―その警察が、自分を攻撃し始めたことをどう感じましたか。

藤井 ショックでした。警察への信頼があったので、マスコミの人がいくら騒いでも、やってないことで捕まるとは思ってもいなかった。信頼しすぎていたのかもしれない。耳元で怒鳴られたのは初日だけですが、その後の取り調べでも、頭から賄賂をもらったという前提でしか話をしないので、まったく話が噛(か)み合わないんですよ。

僕が若いということで、「こんなハナタレ市長を選んだ市民の気が知れない」と言われました。それと、さんざん「市長をいつ辞めるのか」と聞かれましたね。「辞めません」と言っても、「どうなったら辞めるんですか?」「リーダーとして、有罪になる可能性も考えないといけないんじゃないか」と……。

―逮捕されて、身に覚えのない罪を認めてしまう人も少なくないですが。

藤井 僕も、最初の頃は市民の方々がどう思っているのか全然わからなくて不安でした。ひょっとしたら総スカンを食ってるかなとか、支援者が孤立していたらどうしようとか……。

それを見透かすように、(刑事は)「あれだけ報道されれば、美濃加茂市の人たちも藤井さんから離れていくよね」とチクチクついてくる。「藤井さんは選挙でいろんな人を巻き込んでいるんだから、全員を呼んで徹底的に聞きますよ。経営者の方々も多いですよね。そういう人たちへの影響も考えたほうがいい」と言われたときには、僕もひるみました。

「早く自白しないと、美濃加茂市を焼け野原にする」とも言われた。支援してくれた人たちが迷惑を被(こうむ)るのは申し訳ない、自分が罪をかぶったら(捜査は)終わるのかな、という思いがよぎりました。

でも、そういうときに弁護士を通じて、「地元は一丸となっているから大丈夫だ」という支援者からのメッセージが伝わってきました。1万5000人もの市民の署名もいただきました。これだけの署名を集めてくれた人の汗とか、信じてくれる人の気持ちや市に対する思いを、僕が弱い気持ちになって折るわけにはいかない。これからはどんなにプレッシャーをかけられても、強くあろう、事実を貫こうと決意しました。起訴後にも、早期釈放を求めて新たに集められた2万1150名の署名が支えになりました。

■否認事件は警察も可視化するべき

―一方で、議会からは問責決議も出ましたね。

藤井 はい。市民からの苦情の電話もありました。(市職員が)メモに残してくれたので、その内容は全部読んでいます。

―逮捕・勾留(こうりゅう)で、市政への影響は出ましたか。

藤井 めちゃくちゃ出てますね。市政60周年の式典も延期しましたし、高校生や大学生と一緒に取り組む夏のイベントなど、新しい事業はかなり中止せざるを得なかった。

―若い人との関わりを大事にしていますね。

藤井 僕は、大学院生のときに東南アジアに行って、現地の若者の意識の高さや子供たちのハングリー精神、吸収力に衝撃を受けて、教育を通してそういうことを日本の子供たちに伝えたいと思ったんです。それで、決まっていた就職を断って、学生時代にアルバイトをしていた学習塾に就職しました。

授業の前に話題のニュースを取り上げて、勉強への興味につながるように話していたんですが、4年前の夏期講習のとき、生徒から「政治の悪口を言うなら、先生が政治家になればいいじゃん」と言われたんですね。自分が世の中の問題に真っ向から向き合っていないと、グサッとつかれた感じ。それで、その秋の市議選に立候補したんです。

自分たちの町は自分たちで変えられる。ひとりひとりが行政に関心を持って、変えていくことが民主主義。市長になってからも、それを実践するつもりでやってきました。でも、検察でそういう話をすると、「そんな気持ちがあった藤井さんはどこへ行ってしまったんですか」「正直に話せば、その頃の藤井さんに戻れる」とか言われてしまう……(苦笑)。

―警察の取り調べでは録音も録画もなし。一方で、検察では終始、録音録画されていたようですが、取り調べの仕方に違いはありましたか。

藤井 全然違いました。検察官は発言が少なく、怒鳴ったりもしない。可視化されているからでしょうね。ただ、そんななかでも、僕が熱を出したときには「小学生が登校拒否しているようなもの」とか言われてしまいましたが……。警察も、せめて否認している事件は可視化したほうがいいと思います。

―取り調べ期間が過ぎても、40日ほど勾留が続きました。

藤井 取り調べが終わったとき、これからは一冊でもたくさんの本を読もうと思いました。(郵便不正事件に巻き込まれた現厚生労働事務次官の)村木厚子さんも、(512日間勾留された元外交官の)佐藤優(まさる)さんも、拘束されていた期間をその後の人生の糧(かて)にしています。僕も今の時間をムダにしないようにしよう、と。本は40日間で70冊以上読みました。

―途中で警察の留置場から拘置所(こうちしょ)に移りました。どちらがマシでした?

藤井 拘置所のほうがご飯がおいしかったし、雑貨類を入れてもらえた分マシでしたが、中でやることは同じ。本や資料を読んで、少しの時間、筋トレをする。出てくるまでの間に15〜16%あった体脂肪率が8%になって、6kg痩せました。

留置場も、担当の警察官たちは本当に親身になってくれて、僕の体調が悪いときは、検事からの電話を断って病院に連れていってくれたりしました。拘置所の刑務官の対応もしっかりしていて、ありがたかった。うちの市役所もそうですけど、現場の人は一生懸命やっているんですよね。指示をしたり仕事を回す側の人間がもっとがんばらなきゃいけない。それも、(逮捕・勾留中に)学べましたね。

―保釈されて、すぐ公務に復帰。これから裁判が始まります。

藤井 復帰してから、市民の皆さんに温かい言葉をずいぶんかけていただきました。裁判でしっかり無罪をとって、今まで以上に市民に尽くしていかなければいけない。そう思っています。

●藤井浩人(ふじい・ひろと)市長
1984年生まれ、岐阜県美濃加茂市出身。名古屋工業大学大学院中退後、学習塾塾長を経て、2010年10月に美濃加茂市議会議員選にトップ当選。13年6月、前市長の病気による辞職に伴う同市長選に立候補し、自民党推薦の元市副議長を破り、「全国最年少市長」(当時28歳)として就任

■取材・文/江川紹子(えがわ・しょうこ)
早稲田大学政治経済学部卒業。神奈川新聞社会部記者を経てフリージャーナリストに。新宗教、司法・冤罪の問題などに取り組む。最新刊は聞き手・構成を務めた『私は負けない 「郵便不正事件」はこうして作られた』(村木厚子著・中央公論新社)

参照元 : 週プレNEWS


検察・警察は日本最大の犯罪組織

北海道拓殖銀行は「莫大な不良債権」を抱え、1997年、倒産した。この銀行の倒産は、ほとんど無担保で1つの銀行が倒産する程の莫大な資金を借りていた1人の人間によって引き起こされた。

しかも、その莫大な借金を返済していないにも関わらず、拓銀は、さらに融資を重ね続け、倒産に追い込まれていた。この異常な倒産劇には、あまりに奇妙な、そして「経済犯罪事件」の悪臭が強烈に漂っていた。

拓銀をたった1人で倒産に追いやった人物が、全国的な焼き鳥チェーン店の「五えんや」の経営者・中岡信栄であった。なぜ、この人物が無担保で拓銀から莫大な資金を借り出していたのか。真相は、中岡が「表看板」でしかなく、その看板を裏側から支えていたのが広域暴力団・山口組五代目組長・渡辺芳則、同若頭・宅見勝であった事が良く物語っている。

つまり拓銀職員個人個人が暴力団に付きまとわれ、凄まじい脅迫の末、資金を無担保で貸し付けていた事、拓銀倒産とは、事実上、暴力団による脅迫・強奪であった事が真相であった。

わずか50万円の借金であっても、借りた人物の収入状況から返済が不可能であるにも関わらず借りたと判断されれば、詐欺罪で警察に逮捕されているケースは多々ある。

中岡はなぜ、警察に逮捕されなかったのか?拓銀の株式を所有していた市民は数百億円を失っているにも関わらず。

中岡の会社には370億円もの「使途不明金」があった。これだけでも背任罪・横領罪、そして国税当局からは脱税等で捜査する理由は十分にある。大手銀行・拓銀を倒産させているのであるから当然である。しかし東京地検特捜部も国税当局も、なぜか、中岡を放置した。

中岡の企業経営のブレーンには、元東京高検検事長の則定衛が座っていた。さらに中岡の会社の監査役には元広島高検検事長の田村弥太郎、元大阪地検検事の瀬口猛、元広島高検検事長の小島信勝、元札幌地検検事長の中川一が座っていた。警察の事実上の上部組織である検事の、さらに最高位の地位にある検事長をこれだけ監査役に座らせ、それで使途不明金が370億円とは、「どういう事か?」

その結果、借り入れ先の拓銀を倒産させ拓銀の株主=日本国民多数の財産を失わせるとは、どういうことか? 

検事、検事長達は、「給与をもらう事と、引き換えに、370億円もの使途不明金を、監査役であるにも関わらず、見逃していた。」

「五えんや」の経営者・中岡信栄の背任罪・横領罪の犯罪を「給与=金と引き換えに」見逃していた。

検事、検事長達本人が、背任罪の犯罪者である。

実態は、年収1000万円以上で雇用されていたこれら検事長達と、広域暴力団・山口組が「結託し」、拓銀に脅迫を加え、借り出した資金=国民の銀行預金を「山分け」し、自分達の「フトコロに入れていた」。正式の給与でも報酬でもないからこそ「使途不明金370億円」である。

国民の財産である拓銀の貯金を、検察の最高幹部と山口組がヨッテタカッテ脅迫の末、強奪し、自分の「フトコロ」に入れ、さらに拓銀を倒産させ、株式を紙クズにして市民・国民の財産を失わせていた。

警察と暴力団が同一組織である事。警察・検察が国民の財産を強奪する犯罪者集団である事。そして370億円もの強奪が、その犯人が警察・検察であれば黙認され、摘発されない事、「事件が揉み消される事」を、拓銀「事件」は証明している。

こうした犯罪組織=国民財産の強奪組織=検察が、2010年には、小沢一郎の「出所の分からない4億円」に関して、政治資金規正法・違反等により、元秘書の逮捕を行っている。「自分達の、370億円もの、使途不明金は、まあイイジャナイカ、他人の出所不明金4億円は、逮捕、である」。このような犯罪集団=検察に、犯罪を摘発・立件する資格など、全く無い。

参照元 : オルタナティブ通信


愛媛県警察の元警察官。鹿児島県阿久根市の元副市長、仙波敏郎さん「警察は日本最大の犯罪組織です。100%裏金に汚染されています!」

仙波さんは語る。

警察は25万人のノンキャリア、500人のキャリアで構成される国家権力の最大組織。警察は犯罪組織です。

100%裏金に汚染されています。100%です。断言できます。町のおまわりさんから幹部まで年間全国に400億円の裏金が幹部の懐に入っていました。もちろん、私たちの税金ですね。冤罪は裏金作りに不可欠、日常茶飯事です。

警察に42年いた私からしたら、ごくごく当たり前の話です。警察制度は戦後28年にはじまった、33年には裏金事件が発覚した。全国共通です。始まった当初から裏金で動くシステムが確立されていた。

2005年、現職警察官として初めて警察の裏金問題を実名で内部告発した人です。警察という組織がどういう物なのか、認知するのに良い動画です。警察を知らないと、政治も司法も見えてきません。





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