【訃報】 米大富豪ロックフェラー氏が101歳で

2017年03月20日 23:48
 
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伝説的な財閥を治めるロックフェラー家の当主、デイヴィッド・ロックフェラー氏が101歳で死去した。

スプートニク日本

広報担当は、ロックフェラー氏が20日、米ニューヨーク州ポカンティコヒルにある自宅で眠っている間に安楽死したと発表。AP通信が報じた。

デイヴィッド・ロックフェラー氏は、スタンダード・オイルの創業者であり米国人初の10億ドル越えの資産を持った人物、ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー氏の孫。

参照元 : sputniknews


デービッド・ロックフェラーがやっと死去!

以前からデービッド・ロックフェラー死亡説が流れていましたが、3月20日(現地時間)にやっと死んでくれました。享年101歳。悪魔崇拝者は常に長生きしすぎます。さすがに、子供の生き血を飲み、人肉を喰って生命力や精力を維持し続けてきた極悪人だけあります。

彼一人が死んでも、イルミナティの家系や他の多くの悪者が世界を指揮っていますから、そう簡単に世界が良い方向に変わっていくことはないでしょうが。

やっと、NWOの主導者のデービッド・ロックフェラーが死んでくれたと安堵する人は多いことでしょう。きっと、彼は今頃、地獄の扉を開けて自らが血の池地獄や灼熱地獄或は極寒地獄に飛びこんでいくのでしょうかね。

The World Just Became Less Evil: David Rockefeller Dead at 101 (Video)

(概要)

3月20日付け

(N.Morgan)
チェース・マンハッタンの元CEOのデービッド・ロックフェラー(101歳)が死去したとのニュースが飛び込んできました。約30億ドルの資産を持っていたエリートの中のエリートのロックフェラーは1981年に35年間務めたチェース・マンハッタンのトップの座から退きました。

ロックフェラー財団が正式に彼の死を発表しました。彼はアメリカ史上最も影響力のある人物のうちの一人でした。

ロックフェラーは銀行家の中の銀行家とも言われ、ロックフェラー大学、ハーバード大学、美術館などの機関に合計20億ドルを寄付していました。

デービッド・ロックフェラーはジョンDロックフェラーJr(スタンダード・オイルの共同創設者のジョンDロックフェラーの孫)の6人の子供たちの末っ子でした。

ロックフェラーは1936年にハーバード大学を卒業し、1940年にシカゴ大学で経済学博士号を取得。1961年にチェースマンハッタンのCEOに就任。彼は、世界の中で最も多くの人々に恩恵を与えているアメリカの資本主義の重要性を唱えていました。



我々が生きている世界は狂いすぎています。ただ、それがどうしてなのか知らない人が多いと思います。人類の歴史が始まってからずっと、秘密結社、オカルト(悪魔崇拝カルト)、イルミナティが我々の現実世界を支配してきたのです。

しかし彼らはもはや我々をこれまで通り支配することができなくなっています。なぜなら世界人類が覚醒しており、貴方もその一人なのです。今こそ人類が立ち上がる時がきました。

我々が生きている世界で、よいニュースが飛び込むことは殆どありませんが、今回はうれしいニュースが飛び込んできました。デービッド・ロックフェラーが101歳で死去しました。彼は悪魔崇拝者でありオカルト信仰者でしたが、それでも死んでしまいました。彼はリベラル左翼の思想を広め人々を二分してしまいました。

ロックフェラーは他のグローバリストと共に推し進めてきたNWOや反キリストの降臨を見ずに死んでしまいました。しかし彼はNWOへの足掛かり

3月20日にデービッド・ロックフェラーがニューヨークの自宅で101歳で死去したとロックフェラー家のスポークスマンが発表しました。彼はいかなる方法でもこれ以上長生きすることはできませんでした。

ロスチャイルドと同様に彼は悪魔崇拝者団体の最高位に君臨していました。そしてこの100年間世界にNWOをもたらすために精力的に活動してきました。この50年間で我々の社会は工業化時代から携帯電話を片手にゾンビのように歩き回るようになりました。人々は自分自身を崇拝し神を忘れた物質主義に満ちた生活を送るようになりました。

ロックフェラー、ロスチャイルドそして他のエリートも、死後、彼らの魂は別の人間に憑依して生き続けると信じています。彼らは、死後、魂が肉体から完全に抜け出る前に特別な儀式を行い、魂が別の人間の肉体に憑依できるようにしていると彼らは信じています。しかし実際はそのようなことはできません。なぜなら神が掌握しているからです。

以下省略

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参照元 : 日本や世界や宇宙の動向


世界を動かしたロックフェラーの「陰謀の真実」…戦争や軍事クーデターで巨万の利益

2017.05.16

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訪米しデビッド・ロックフェラー氏と会食する明仁天皇(Osamu Honda/アフロ)

米ロックフェラー家の当主で世界有数の大富豪、デビッド・ロックフェラー氏が3月、心不全のため101歳で死去した。

主要メディアが訃報で伝えたデビッド氏の経歴はおおむね次のようなものだ。石油業で巨富を成したロックフェラー家の3代目で、チェース・マンハッタン銀行の頭取を務めた。有力シンクタンク外交問題評議会(CFR)の理事長となり、日米欧の民間有識者による政策協議グループ「三極委員会」を創設する。親日家で慈善家としても知られた――。

これらの記述に誤りはない。問題は書かれていないことにある。デビッド氏は政府の公職には一度も就かなかったが、米国の政治、特に外交政策に対して強い影響力を及ぼす影の実力者だった。おもなエピソードを3つだけ紹介しよう。

ベトナム戦争を後押し、特需で利益

デビッド氏は絶大な経済力と国際的な人脈を武器に、米国政治に影響力を及ぼした。ジョン・F・ケネディ大統領(民主党)とは経済問題を話し合う間柄となり、1963年11月の同大統領暗殺を受け就任したリンドン・ジョンソン大統領(同)とは、政策について最も頻繁に意見を交わす銀行家になった。

ジョンソン政権の下で、米国はベトナム戦争に本格介入する。その背景にはロックフェラー家をはじめとする有力銀行家の支持があった。

1964年11月の大統領選を前に、ジョンソン大統領はデビッド氏をホワイトハウスに招き、意見を聴いた。デビッド氏はジョンソンに対し、共産主義に対して弱腰という印象を与えるわけにはいかないと助言した。助言に従う形で、ジョンソンはベトナムで戦火を拡大させていく。

銀行家がベトナム戦争を支持したのは、戦争が経済全般や国内外の金融ビジネスを活気づけると踏んだためだ。実際、1965年初めには戦争関連の資金調達需要の増大に伴い、デビッド氏のチェース銀行を含む銀行業界は海外を中心に借り入れ需要が急増する。

1965年、権力エリートの全国組織が創設され、ジョンソン大統領のベトナム介入政策を後押しした。委員長はロックフェラー家と親しい弁護士でCFRメンバーのアーサー・ディーン。委員には世界銀行総裁を退任して古巣のチェース銀行に戻ったユージン・ブラックのほか、当時チェース銀行頭取だったデビッド氏自身も名を連ねた。

デビッド氏は戦争を利用してアジアに進出した。1966年、同氏はサイゴンにチェースの支店を開いて平和運動家の怒りを買う(ノミ・プリンス、藤井清美訳『大統領を操るバンカーたち』下巻<早川書房>)。

チリの軍事クーデターで暗躍

ベトナム戦争に対する反戦運動が広がるなか、1968年大統領選で現職のジョンソンは選挙戦から撤退。共和党のリチャード・ニクソンが勝利を収める。それでもデビッド氏やロックフェラー家の影響力は衰えなかった。

ニクソン大統領の懐刀といえば、ヘンリー・キッシンジャー補佐官(のちに国務長官)である。政治学者出身のキッシンジャーはそれまでネルソン・ロックフェラー(デビッド氏の兄で政治家。フォード政権で副大統領)の私的顧問を務めるなど、ロックフェラー家ときわめて親密な関係にあった。

ベトナム戦争を別にすれば、ニクソン政権が企てた外交上の大きな冒険はチリの軍事クーデターである。

1970年、南米チリの大統領選でサルバドール・アジェンデが勝利し、世界で初めて自由選挙で合法的に選出された社会主義政権が誕生した。

デビッド氏は回顧録で当時の内幕を一部明らかにしている。チリ大統領選に先立つ1970年3月、友人で同国の大手新聞社エル・メルクリオの経営者、オーガスティン・エドワーズからこう警告された。「アジェンデが勝利を収めれば、チリは第二のキューバ、つまりソ連の衛星国と化す恐れがある。だからアメリカは、アジェンデの選出を阻止するべきだ」。これを聞いたデビッド氏は「ヘンリー・キッシンジャーに連絡を取らせた」(楡井浩一訳『ロックフェラー回顧録』下巻、<新潮文庫>)。

米中央情報局(CIA)はアジェンデ勝利の阻止には失敗したものの、キッシンジャーの助言の下、800万ドルを反政府工作につぎ込む。歴史家マレー・ロスバードによると、そのうち150万ドル以上は、前出のデビッド氏の友人エドワーズが経営するエル・メルクリオ紙に配分されたという。

CIAに支援されたアウグスト・ピノチェト将軍のクーデターでアジェンデは殺害され、独裁体制を敷いたピノチェトは虐殺、拷問、誘拐などで人権を抑圧し、国際的な批判を浴びる。デビッド氏は「わたし自身はピノチェト時代の残虐行為には嫌悪感を覚えるが、それでも、経済においては建設的な面もあった」と述べている。

イラン米大使館人質事件を引き起こす

ニクソン大統領はウォーターゲート事件で1974年8月に辞任する。フォード政権を経て、1977年に民主党のジミー・カーターが大統領となる。

カーター政権下の1979年11月、イランの首都テヘランで米大使館人質事件が起こる。デビッド氏とこの事件のかかわりは、ベトナム戦争やチリのクーデター以上に深い。

英国とCIAが主導した1953年のイラン・クーデターで、親欧米派のパーレビ国王が王位に就く。デビッド氏は国王と個人的関係を結び、中東の銀行事業で大きな利益を得ていた。

ところが1979年初めのイラン革命で事態が一変する。パーレビ国王は暴動を逃れて出国するが、落ち着く先がない。カーター大統領はイラン側の報復を恐れ、米国への亡命受け入れを渋った。

デビッド氏はみずからをトップとする特別チームを結成し、国王の米国亡命を政府に要求する(前出『大統領を操るバンカーたち』下巻)。イラン国王を見捨てれば、中東の親米国に不信感が広がり、これまでの事業や人脈が無駄になりかねないと恐れたためだ。圧力が功を奏し、10月23日朝、国王はチャーター機でニューヨークに着く。

しかし、ここで恐れていたことが現実となる。米国の国王受け入れに憤ったイランの学生らが米国大使館を占拠し、職員ら52人を人質に取ったのである。拘留はカーター政権が終わるまでの444日間にわたって続いた。

イラン政府は、国王を送還しなければ米国の銀行から預金を引き揚げると脅しをかけた。しかし直後に米政府がイランの預金を凍結したことを理由に、デビッド氏のチェース銀行はイランへの貸付金と預金を相殺し、経営危機の引き金になりかねない預金引き揚げを免れる。

預金凍結に救われた形のデビッド氏は「チェース銀行には、凍結を実施するよう政府を説得する役を担った者はいない」と述べている。またデビッド氏は人質事件について「444日間の監禁は恐ろしい試練だ」としつつ、「そもそもアメリカ政府は脅しに屈するべきではなかった」と主張する。自分が実現させた国王亡命によって事件を引き起こしたことへの反省は見られない。

デビッド氏の行為は立派な陰謀

デビッド氏は回顧録で「“ポピュリスト”は陰謀の存在を信じている」と述べ、国際銀行家やその取り巻きからなる秘密組織が世界経済を支配しているという陰謀論を批判した。

しかし世界経済を支配したかどうかはともかく、デビッド氏が自分の利益を図るため、一般市民に見えないような形で政治に影響力を及ぼしたのは事実だ。陰謀が「ひそかにたくらむ悪事」(「goo国語辞書」より)だとすれば、デビッド氏の生前の行為は立派な陰謀、それもスケールの大きな国際陰謀だったといえるだろう。

(文=筈井利人/経済ジャーナリスト)

◆参照文献(本文に記載したものを原則除く)
Rothbard, Murray (2011). Wall Street, Banks, and American Foreign Policy, Second edition, Mises Institute.

参照元 : ビジネスジャーナル