鳥居

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鳥居(とりい)とは、神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。

概要
鳥居を立てる風習は、神社の建物がつくられるようになる前から存在した。古来日本では、屋根のない門という意味で「於上不葺御門(うえふかずのみかど)」ともいった。中国の「華表」の訳を鳥居とするので、過去には漢文で「華表」と記したこともあったという。

鳥居は一般的には神社を象徴するものとして捉えられているが、仏教寺院にも見られることがある(→神仏習合)。一方で鳥居を持たず楼門(随神門)をもつ神社も存在する。戦後の区画整理により境内が縮小されたり移転したため、現在の神社境内とはかけはなれた場所に孤立している鳥居もしばしば見かけられる。御陵に建てられていることもある。

図案(意匠)としては神職であった氏族や家(いえ)が家紋として用いることがあるほか、現在の地図記号では神社を意味する。また俗用に小便無用、不法投棄のごみ除けなどに利用されることがある。

俗信においては、鳥居の上に石を投げて乗せると願いが叶うといわれることがある。信仰のあり方の一つとして寛容な社寺もあるが、投げ上げる際に危険であり鳥居の上に乗った石がいつ落下するか分からず参拝者として本来慎むべき行為である。また鳥居の美観を損ない破損させる原因となる。

数え方は、「1基、2基」と数える。一般にひとつの参道に複数の鳥居がある場合は、一番外側から「一の鳥居、二の鳥居…」と呼ぶ。また、神社の前に形成された町のことを「鳥居前町(とりいまえまち)」と呼ぶことがある。 稲荷神社などの鳥居が朱色であるのは、古来その色が生命の躍動を表し災いを防ぐとして神殿などに多く使われたためで、これが鳥居にも影響しているとされる。

▼皇大神宮(伊勢神宮)正宮(三重県伊勢市)

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▼厳島神社の大鳥居(広島県廿日市市)

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▼伏見稲荷大社の千本鳥居

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▼サンチ―の鳥居

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起源

鳥居の起源については諸説あり、考古学的起源についてはっきりしたことは分かっていない。単に木と木を縄で結んだものが鳥居の起こりであると考えられる。文献に徴すれば古くは「於不葦御門(うへふかずのみかど)」(皇太神宮儀式帳)と称して、奈良時代から神社建築の門の一種としている。いずれにせよ、8世紀頃に現在の形が確立している。

そのほか主要な説として、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を置いたことが起源であるとする説、日本の冠木門を起源を求める説、インド仏教にみられるトラナや中国の華表や鳥竿、牌楼(ぱいろう)、朝鮮半島の紅箭門(こうぜんもん・ホンサルムン)、イスラエルの移動型神殿、雲南省とビルマとの国境地帯に住むアカ族(英: Akha)の「村の門(ロコーン)」など海外に起源を求める説などがある。また、ユダヤ教と関連があるとする説もある(日ユ同祖論)。

▼インド仏寺のトラナ説

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▼中国の牌楼説

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文化人類学的な観点

現在の雲南省とビルマとの国境地帯に住むアカ族(英語:Akha、中国ではハニ族)の「パトォー・ピー(精霊の門)」という村の入口の門では、上に木彫りらしき鳥が置かれることや、鳥を模した造形物を飾る風習もあることが実地を調査した研究者から報告されていることから、日本の神社でよく見られる「鳥居」の原型は、アカ族らが長江流域から南下、避難してくる前、長江流域に住んでいた時代(百越人であった時代)の「鳥居」ではないのか、という説もある。アカ族の村の門には鳥の木形が置かれるが、同様の鳥の木形は日本での稲作文化の始まりとされる弥生時代の遺蹟である池上・曽根遺跡や纒向遺跡でも見つかっており、また他にも多くの遺蹟でも同様である。

そのほか、更に遡った歴史観として「鳥居を赤く染めるのはユダヤ教(旧約聖書)の影響を受けてる。」とか「秦氏はイスラエルの失われた10支族の一族だ。」という日ユ同祖論にもとづく説も見られるが、疑似科学の域を脱するものではない。

語源
語源についても同様に不明である。鶏の止まり木を意味する「鶏居」を語源とする説、止まり木(あるいは神前止まり木)説、「とおりいる(通り入る)」が転じたとする借字説、トラナを漢字から借音し表記したとする説などがある。Karow&Seckelは鳥居の名称を鳥(Vogel)そのものに求め、死者の家として家屋の中心部だけを残して崇敬の対象としたとの説をとる。

構造そのものに着目した説としては、鳥居桁(架木)説とでも呼ぶもので、そもそも建築用語として高欄の横木の最上部のものを鳥居桁と呼ぶことは奈良時代の資料から明らかになっており、障子の上桁の横木を鴨居と呼ぶのと同じく、「トリイ」とは古来からの建築用語であり、これが神社門に転じたとする説である。奈良時代に「トリイ」の語は建築用語として存在し、平安初めに一般神社門は「トリイ」と俗称され、平安中期にはこの名称が庶民によって用いられたとする。

構造
2本の柱の上に笠木(かさぎ)、2層の水平材とする場合に上層の笠木に接して島木(しまぎ)を渡す。その下に貫(ぬき)を入れて柱を固定したのが一般的な鳥居の構造である。他に、貫と笠木の間に額束(がくづか)を建てることがあり、柱下部に亀腹(かめばら。饅頭ともいう)を施したり、掘立であれば根巻きや根巻き石(ねまきいし)を施すことがある。笠木と柱の間に台輪(だいわ)という円形の保護材をつける例もある。

鳥居の分類は大別すると、柱や笠木など主要部材に「照り」や「反り」、(柱の円柱加工を含まない曲線を表す加工)があるかないかである。照りや反りが施された代表例としては明神鳥居(みょうじんとりい)があり、 それらが施されない代表的な例としては神明鳥居(しんめいとりい)があげられる。

材料
材料は木材(檜・杉など)で造られた「木鳥居」、石で造られた「石鳥居」、銅板で全体を葺いた鳥居を「銅鳥居・金鳥居(かなどりい)」という。銅鳥居は、「唐金(からかね)の鳥居」と呼び、江戸時代には浮世絵などに描かれている。近年では鉄パイプ、鉄筋コンクリートで建てられた鳥居もある。

また、佐賀県西松浦郡有田町にある陶山神社の鳥居は陶磁器製、京都府八幡市にある飛行神社の鳥居はジュラルミン製、秋田県八郎潟町にある副川神社の鳥居は塩化ビニール製など、その他の材料による鳥居もある。

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形式
建てられる鳥居の形式は寄進者の好みによることが多く、鹿島神社に春日鳥居が建てられるようなこともあるように祭神と関連を持つことは少ないが、山王鳥居は日枝神社(山王神社、日吉神社)になどと結びつくものもある。

神明鳥居に代表されるもの
神明鳥居に代表されるものは、柱や笠木は丸材を用いることもあるが、全体的に直線の部材が用いられる。神明鳥居は素朴な形式で、全体的に直線的である。笠木柱には丸材、貫には板材が用いられることが多い。笠木の下に島木がなく、貫は貫通せず、柱は地面に対し垂直に立てられている。伊勢鳥居とも言うように、伊勢神宮において現れたと考えられており、この類に外宮鳥居がある。この形式のバリエーションとして、貫に角材を用いたものが、靖国神社をはじめとする各地の護国神社で広く見られることから、特に靖国鳥居と区別することがある。

春日鳥居、鹿島鳥居、八幡鳥居の類は、明神鳥居と同様に、笠木の下に島木があり、貫が貫通し、春日・八幡鳥居の柱には転びが施されるが照りや反りは施されない。ちなみに、春日鳥居と八幡鳥居は、笠木と貫の木口を斜めに切るか切らないかの違いのみで主要部は同様に造られる。

・神明鳥居(伊勢鳥居)
・鹿島鳥居(かしまとりい)
・春日鳥居(かすがとりい)
・八幡鳥居(はちまんとりい)
・黒木鳥居(くろきとりい)
・靖国鳥居(やすくにとりい)
・内宮源鳥居(ないぐうげんとりい)
・宗忠鳥居(むねただとりい)
・三柱鳥居(みはしらとりい) - 正三角形平面に組み合わされ三柱の鳥居。
・城南宮鳥居(じょうなんぐうとりい) - 京都市伏見区の城南宮の本殿に向かって正面にある鳥居。基本型は神明鳥居に属するが、柱下に饅頭があり、棟の部分に島木・笠木を重ねて、さらに屋根を葺いている。その島木の正面中央に神紋の金具が打たれている。

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明神鳥居に代表されるもの
明神鳥居は笠木の下に島木があって反りが加えられている。柱は地面に対して少し傾斜(転び)をつけて立てられている。宇佐鳥居以外は笠木と貫を額束で連結して補強している。

・明神鳥居
・稲荷鳥居(いなりとりい) - 柱と笠木の接合部に台輪が取り付けられている。台輪鳥居(だいわとりい)ともいうが、台輪を付けた鳥居はこれに限るものではない。
・山王鳥居(さんのうとりい) - 明神鳥居の笠木の上に破風を付けたもの。破風鳥居ともいう。
・奴禰鳥居(ぬねとりい) - 島木と柱の間に台輪を持ち、額束の代わりに叉首(さす)を入れる。
・三ツ鳥居(みつとりい) - 1つの明神鳥居の両脇に小規模な明神鳥居を2つ付けたもの。三輪鳥居(みわとりい)ともいう 。
・中山鳥居(なかやまとりい) - 笠木は明神鳥居と同様に造るが、貫を貫通させない。
・宇佐鳥居(うさとりい) - 宇佐神宮の鳥居で額束がない。笠木に桧皮葺の屋根をかける。
・両部鳥居(りょうぶとりい) - 主柱を4本の稚児柱で支える。
・住吉鳥居(すみよしとりい) - 柱に角材を用いる。

著名な鳥居

日本三鳥居
・吉野・銅の鳥居(かねのとりい)(重要文化財)
金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂の参道に建つ。室町時代のものと伝えられる。高さ約8メートル。
額束は「発心門」
・安芸の宮島・朱丹の大鳥居(木造)(重要文化財、世界遺産)
厳島神社・社殿前の海中に建つ。楠造り両部鳥居。現在の鳥居は平安時代から数えて8代目で明治8年(1875年)7月に完成したもの。
神額:沖側「厳島神社」、神社側「伊都岐島神社」(有栖川宮熾仁親王染筆)
・大阪四天王寺・石の鳥居(重要文化財)
永仁2年(1294年)に造られた日本最古の石造りの大鳥居の一つとされている。
扁額の文字:「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」

日本三大石鳥居
・日光東照宮(重要文化財)
黒田長政による寄進。
・八坂神社(重要文化財)
南楼門前の鳥居。
・鶴岡八幡宮(重要文化財)
一の鳥居 若宮大路の南側の鳥居。

京都三珍鳥居
・木嶋坐天照御魂神社 三柱鳥居
・厳島神社 (京都市上京区) 京都御苑内の唐破風石鳥居
・北野天満宮境内社 伴氏社の石鳥居

その他
・熊野本宮大社
高さ33.9メートルの日本最大の鳥居。(2011年8月1日現在)
・伏見稲荷大社
約1万基の鳥居がある。
・平安神宮
高さ24.4メートルの鳥居。
・気比神宮
国の重要文化財。木造としては3番目の高さがある。
・元木の石鳥居
国の重要文化財。山形市にある平安時代建立の日本最古の石鳥居。
・野宮神社
鳥居は樹皮がついたままの「黒木鳥居」で、古代の鳥居の形式を伝えている。
・粟嶋神社 (宇土市)
日本一小さな鳥居といわれる「腰延べ鳥居」、これをくぐると婦人病を初めとするさまざまな病が平癒するといわれる。
・陶山神社 (有田町)
明治 21年 (1888年) 奉納の磁器製の鳥居。
・山王神社 (長崎市)
二の鳥居は原爆の爆風により片方の柱が吹き飛び「一本柱鳥居」と呼ばれる。

以下略

参照元 : wiki/鳥居


超古代文明の遺跡!?「大石神ピラミッド」【青森】

ピラミッドと聞いて思い浮かべる地名は? エジプト? でも日本にもピラミッドは全国にたくさんあるんですよ。飛騨の位山、中国地方の葦嶽山、特に東北地方は五葉山、姫神岳、十和利山、黒俣山と一大ピラミッドゾーンになっています。今回はエジプトよりも古い、数万年前のものと伝えられている青森県の「大石神ピラミッド」を訪れました。

大石神の鳥居がピラミッド入り口

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山道を登っていくと、大石神を奉った鳥居が見えます。ここがピラミッド入り口。日差しが強い日でしたが、木々の生い茂った山は昼間でも薄暗くなっています。このピラミッドが発見されたのは昭和9年。戸来村出身の画家の鳥谷幡山(1876〜1966)が、日本各地にピラミッドを認定していた酒井勝軍(1874〜1940)(※)に大石神を紹介したのがきっかけでした。またしてもオカルトファンにとって嬉しい名前が出てきました。

※……酒井勝軍(さかいかつとき):キリスト教伝道者。竹内巨麿の『竹内文書』に傾倒し、日本各地のピラミッドを調査・発見した人物。オカルトマニアに今も人気が高い超古代史の巨人。

(以下略)

参照元 : 日本珍スポット百景

青森県にキリストの墓とピラミッドがある件

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入り口には鳥居 ピラミッドなのに鳥居

参照元 : 一体どういうこと?青森県にキリストの墓とピラミッドがある件【珍スポット】


ピラミッドと言われている富士山にも鳥居がある。富士宮がなぜ富士山に建てられたのか?

▼九合目の目印、白い鳥居

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▼山頂入り口最後の鳥居

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参照元 : Favorite time


▼富士宮ルートの山頂には富士山頂上浅間大社奥宮(ふじさんちょうじょう せんげんたいしゃ おくみや)があります。

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▼このような鳥居がなぜ富士山にあるのか?

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参照元 : 「富士山お鉢巡り」解説!山頂火口をぐるっと一周

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▼ベトナムに謎の鳥居

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参照元 : べとまる


日銀を天空から見ると「円」の文字がある。鳥居そのものではないか!

日本銀行本館の設計者・辰野金吾は意識的に建築設計する際に「円」という形を設計したのか、はたまた偶然の産物なのか?

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グーグルマップ日本銀行

参照元 : 日銀を天空から見ると「円」の文字に見えるのは意識的設計か?

▼日本銀行・鳥居坂分館を調べると、その横に日本基督教団・鳥居坂教会がある。

鳥居坂教会

グーグルマップ日本銀行 鳥居坂分館

wiki/鳥居坂教会

鳥居坂の名前の由来を調べてみると、曖昧な感じだった。

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鳥居坂

(中略)

名前の由来
右の写真は、現在(平成 22 年)の鳥居坂である。鳥居坂の名のおこりは、慶長の初期に鳥居(鳥井)彦右衛門元忠が坂の東側(写真では右側)に屋敷を拝領していたからだといわれている。また、一説では氷川神社の二の鳥居があったから、あるいは三の鳥居があったからともいう。

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もともと坂は無かった
左の延宝(1673 〜 1681)図によると、この通りは突き当たりであり、鳥居坂はなかった。その後の元禄版の江戸図(元禄 12 年(1699 年))になって、現在の鳥居坂の道が現われる。これにより、今の鳥居坂ができたのは、元禄の少し前頃、鳥居家の敷地を一部つぶして道としたものと思われる。

(以下略)

参照元 : 鳥居坂ものがたり


古来の鳥居は3本足だった

(前略)

御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と呼ばれた、実質、日本の初めての天皇とも言える第10代の祟神天皇の時代は、、、こうした2本足の鳥居では無かった可能性があると言うのを、ご存知でしょうか?そして、もう一つ大事な事ですが、、、そもそも鳥居とは何なのでしょうか?

まぁ、鳥居は、機能的には、俗世界と神域を隔てる境界のような機能を持っていますが、「鳥居」という言葉からは、鳥が居る場所、、、と考えるのが自然です。

では、鳥居には、どんな鳥が住んで居るのでしょうか?八幡宮とかなら、鳩とか似合いそうなもんですけど、、、実際は鳥居に住む鳥は、鳩ではありません。

▼石清水八幡宮の鳥居の扁額(へんがく)の「八」は、鳩になっている

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これを解くには、古代の中国を考えてみることが必要です。例えば、湖南省長沙の馬王堆の「帛」には、月の中のヒキガエルと対をなすように、太陽の中に、烏(カラス)が描かれているのが分かります。

▼馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)1号墓の帛画

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また、中国の「大荒東経」には

「湯谷の上に扶木あり、太陽がひとつ至るやひとつ出てゆく。皆カラスに背負われている」

・・・と言う記述も見えます。

したがって、"カラスは太陽神の使い"である事が分かります。一方、日本の神社を見て見ましょう。日本の神社は、ご神体が鏡です。

「この鏡が何を意味するか?」と言えば、、、古事記の中で、下記のように書かれているのが、鏡を信仰する由来になっています。天孫降臨の際、天照大神から瓊瓊杵尊に授けられ、この鏡を天照大神自身だと思って祀るようにとの神勅(宝鏡奉斎の神勅)が下された。

鏡に映ったのは太陽神です。したがって、天照大神を祀る日本の神社は、基本的に太陽神を祀る神社なのです。それで、古代中国においては、"カラスは太陽神の使い"でした。したがって、太陽神である天照大神の使役する鳥も、またカラスなのです。だからこそ、鳥居は、カラスの住む場所と言えるのです。

カラスは三本足であるならば、鳥居は?

そして、大事な事ですが、太陽に住む烏(カラス)は、古代中国の時代から"3本足のカラス金烏(きんう)である"と信じられてきました。3本足のカラスには、熊野の八咫烏がありますが、元々は、金烏だったのが、日本において八咫烏となっています。

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さぁ、、、こういうところから考えると、、、3本足のカラスの住む鳥居の足が、なぜ2本なのでしょうか?鳥居は2本足であるよりも、3本足である方が、信仰的には自然だと思いませんか?

そのような考えに基づいて考えて見ると、日本にも幾つか、3本足の鳥居が残されている神社が見られます。

▼木島坐天照御魂神社の三柱鳥居

三本柱鳥居

写真は、「三囲神社と蚕の社の三柱鳥居」より引用

▼伊香具神社の伊香式鳥居

伊香式鳥居

▼大神神社摂社の檜原神社の三柱鳥居

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他にも、あちこち見られますが、実は、これらのような3つの足のある鳥居が、、、本来の鳥居の形なのです。この事は、飛鳥昭雄氏が、その著書の中で、裏の神道組織「八咫烏」の頭領に、「古代の日本は、全ての神社の鳥居が3本足だった」と言う事を確認しています。

なので、今、現代で見られる2本足の鳥居は、本来は誤りだと言えます。このことは、現在行われている「塩津港遺跡(滋賀県長浜市)」発掘調査における神社の遺構にも見られます。

上記サイトには、神社の遺構を元に、復元した想定イメージが描かれているんですが・・・ やっぱり鳥居の真ん中に、一本木が立っているのです。

◆古代の塩津港の神社イメージ

このように3本足の鳥居は、古代では、当たり前だったのかもしれません。

・・・まぁ、その3本足が2本足に変わったのは、その昔、藤原不比等の治世の時、唐の高宗の皇后であった武則天が、景教(ネストリウス派キリスト教)弾圧を始めたからだ、、、とも言われています。 そのため、唐の弾圧を恐れた日本は、国家ぐるみで、仏教に転身することになり、3本足だった鳥居も、消されていったと考えられます。しかし、逆に言えば、現在、3本足の鳥居が残されている大きな神社は、相当、元の原始信仰に拘っている神社だと言えますし、八咫烏が関わった神社であった可能性も大きいのではないかと思います。 とまぁ、日本の神社の鳥居一つにも、こうした思想が込められている訳です。

ちなみに・・・ 屋外の神域を守る門の役割を果たしているのが、鳥居であり、屋内の神域を守る門の役割を果たしているのが、鴨居です。鳥居も鴨居に共通する「居」には、「くぐる」という意味があり、鳥居も鴨居も、その中を人が通行するものです。

参考:家の達人:鴨居【かもい】

このようにして見ると、「鳥居の烏」と「鴨居の鴨」は、それぞれ対応しており、烏(=八咫烏)と鴨(=賀茂氏)は表裏一体の関係にある事が暗示されています。

なお、賀茂氏は、後に述べる秦氏とは古代に婚姻関係で結ばれた氏族です。秦氏本系帳には、「鴨氏人を秦氏の聟(むこ)とし、秦氏、愛聟(あいむこ)に鴨祭を譲り与う。故に今鴨氏禰宜として祭り奉るのはこの縁なり」と書かれています。

三井家のルーツ

ところで、少し話は変わりますが、日本の財閥で三井グループというのがあります。オカルト好きな方なら、ご存知でしょうけど・・・ 実は、木島坐天照御魂神社の三柱鳥居や、三囲神社(みめぐりじんじゃ)の三柱鳥居など、これら三柱鳥居の幾つかは、三井グループの三井氏と関係があります。

▼三囲神社の三柱鳥居(東京都墨田区向島)

三囲神社の三柱鳥居(東京都墨田区向島)

この三井氏のルーツについては、一般的には元々は藤原道長で、道長の六世孫が、大和の三井村に所領を持った所から、三井家と名乗っていると言われています。しかし、この三井家は、その15代目の時に近江佐々木氏から養子を迎えています。

(以下略)

参照元 : 不況対策


トリリスと日本の鳥居。奇妙な符合性

日本の鳥居、調べてみると奇妙なことが分かる。日本中に何十万とある鳥居ですが、それが何であるか誰も知らないというのです。神社や寺がそこに建てられる前からあったと言われていますが、何のために、どうして、いつから日本にあるのでしょうか?只の門なのでしょうか?

▼トリリトン・三石塔(Trilithon)

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世界遺産ストーンヘンジー

ストーンヘンジ(Stonehenge)はイギリスにある世界遺産の一つです。世界で最も有名な先史時代の遺跡で、円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁で成り立っています。 円形に囲われた土手の中には、30もの巨石が直径30mほどのサークル状に直立していて、その立石らの上には横石が乗り、今は崩れてしまっていますが、かつては円形に繋げられていたそうです。

ストーンヘンジはロンドンから西に約200km離れた、イギリス南部・ソールズベリーから、さらに北西に13km程度進んだ地点に位置しています。 アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでにストーンヘンジは存在しており、遺跡の目的については太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂・・・などなど様々な説があります。

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(以下略)

参照元 : 世界遺産ストーンヘンジー




人間の探究 293 古代の宇宙人

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まず第一に古代人は現代人が知らない技術をもっていました。例えば、人間は2千トンの石を動かすことなどできません。人間が縄でひっぱるのでしょうか。縄で引っ張っても2千トンの石は動きせん。しかも、ピラミッドの石切場から石を運ぶのに山や川を越えてくるのです。平坦地で石を運ぶこともできないのに山や川を越えてくることはできません。

それから、南米のプマプンクの遺跡を見てもわかりますが、あんなものがどうやってできるのでしょう。石の表面は平です。しかも、2ミリくらいの溝が10センチくらいの深さに掘ってあるのです。どのようにして、どのような道具で切ったのでしょう。

しかも、石には小さな穴が開いているのです。そんなことができるのでしょうか。当時の道具で実験した人がいるのです。当時、鉄はないので多分、青銅であるから、青銅の道具で石を削るのです。すると、10回くらいやると青銅だと曲がってしまうのです。また、焼き入れして青銅を叩くのです。そんなことをやって石など加工できないのです。

ですから古代人は人間以外のものだとわかるのです。プマプンクの遺跡や、ピラミッド、イギリスのストーンヘンジ、フランスのカルナックとか、それらの巨石文明は人間がつくったものではないと思ったほうがよいのです。


なぜそう思うのかというと、もし人間が造ったならば、その技術が途絶えることはありません。人間が造ったならば、「どのように造ったのか?」という技術を解明することはできます。イースター島のモアイも10メートルくらいの大きさです。しかも、土に埋まっている部分の方が多いのです。あれをどのようにして動かしたのでしょう。

それは、古代には一つの技術があったのです。重力をなくす技術をもっていたのに違いありません。重力をなくす技術を人間はもっていません。ですから、人間以外の文明だとわかるのです。古代に人間以外の者が造った文明があり、それは宇宙人の文明です。

なぜ、そのようなことが言えるのかというと、キャトルミューティレーションがあります。UFOが青い光を出すと牛が空中に吸い上げられて、しばらくすると、ドーンと落とされるのです。すると、目や性器をくりぬかれた状態になっているのです。

アブダクションもそうです。人間が青い光に吸いあげられてUFOの中に吸い込まれて、体を調べられて体に何かを埋め込まれるのです。基本は青い光を当てると空中に物体が浮き、UFOに吸い込まれてしまうのです。そのような事件が何万件とあるのです。

青い光をUFOから発しているのですが、それは多分、重力波です。例えば、石に青い光線を当てると、引力がなくなってしまうのです。どのような大きな石でも、青い光線を当てられると、重力がなくなって空中に浮いてしまうのです。

それならピラミッドもできるのです。どのような大きな石でも、空中に浮いてしまうのです。そこにピラミッドを造ろうと思ったら、UFOから青い光線を当てて石を空中に浮かせて運び、積み上げていくのです。また、石に光線を当てて、空中に浮かせて運ぶのです。そのように、人間が積木を造るようにしてピラミッドはできてしまいます。

あんな巨石を人間が階段を造って運ぶなどできはしません。ピラミッドに使われている石は200万個です。それから石をカッターで削るのですが、どのように削ったのでしょう。切れ目が石と石でピッタリと合わさっているので、びくともしません。それもレザー光線のカッターがあったのに違いないのです。

石を加工するのに、レザー光線で加工すると、どんな小さな穴もあけられます。直角系に石を加工する技術があったのです。このレザー光線の技術と、重力をなくす技術と関連しているのです。

「物体を空中に浮かせる」という一つの技術をもっていれば、その技術でレザー光線もできるのです。石も平らに加工して、UFOで石を運ぶのです。モアイは伝説では「自分で歩いた」と言われています。学者が実験でモアイを、30人くらいでひっぱるのですが、動きもしません。縄をひっぱった程度では動きもしません。

やはり、「モアイは自分で歩いた」と言われているのですから、その通りでUFOから青白い光線を当てて、運んできたのです。古代の地球に宇宙人がきて、古代人がいたのです。その時にもっていた技術が引力をなくす方法です。UFOそのものは空中を飛んでくるのですから、それができなければUFOは飛べません。

プラズマを使った重力波をなくす技術と、レザー光線で石を切るという技術をもっていた宇宙人が造った文明です。ピラミッドも人間が造ったものではありません。

フランスのカルナックの遺跡もすごい遺跡です。3キロも石が続いているのです。それも石がどのくらいかというと、5メートルか、もっと大きい石です。その大きな石を何万個も並べたのです。そんなことを誰がやったのでしょう。

ヨーロッパにいたのは野蛮人です。野蛮人が造ったのでしょうか。それは違います。ある目的をもってつくられたのです。ナスカの地上絵もそうです。ナスカの地上絵は30キロにわたって描かれています。空からでないと見えないのです。それも古代に地球に来た宇宙人の文明です。人間以外のものが先史文明を造り、石を使い巨石文明を造ったのです。石はレザー光線で切り取ったのです。

そして、何らかの理由で地球から去ったのです。自分たちが来たという証明のために巨石文明を造り帰っていったのです。そのあとに人間がらしいものが生まれてきたのですが、その前には巨石文明はできていたのです。だからピラミッドは、いつ造られたのかわからないのです。

宇宙人はそのような接触をしてきたのです。

「あれ、変なものがあるな」と人類が気が付いて、そこから人類の歴史が始まったのです。その前の文明は宇宙人が造ったものですからわからないのです。宇宙人は帰ってきません。古代文明は宇宙人のメモリアルとして理解した方が理解できるかもしれません。

参照元 : 中杉 弘のブログ


最も謎深い遺跡 プマ・プンク

プマプンクにはこのように、まるで工場で作られたように同じ型の精巧なH型ブロックが多数ある。ただ1ブロック100トン以上の重さであるため現代の工場でも造る事は難しい。

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石の表面はつるっつるに加工されてあり、顕微鏡で観測した結果レーザーカットしたよりも滑らかな、ダイヤモンドで研磨したのと代わらない程であった。

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(中略)

ティワナク遺跡と言えば、太陽の門が有名だ。自分も12年前に訪れたが、近くにあったプマプンクの存在を知らなかった。これもテレビでよく見るティワナク遺跡。

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(以下略)

参照元 : ラエリアン 原発に反対!


宇宙人が作ったとしか思えないプマ・プンクの遺跡。35分付近から鳥居のような石のオブジェが!鳥居と宇宙人は繋がっているのか?



古代人に、ここまで綺麗に石をカットする技術はない。しかも巨大な石を運ぶことも人類には不可能。つまり、これらを作ったのは人類ではない?



こちらはロシアの映像。このような強大な石をカットして積み上げることは、古代の人間には無理。では誰が?どう考えても宇宙人としか思えません。