「あなたの子供が戦争で死ぬ」ついに女性週刊誌までが安倍政権と安保法を批判し始めた!

2015.06.03

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ヤジに怒号、嘘とごまかしに言い切り、噛み合わない議論。茶番ともいうべき安保法案の国会審議が続いている。この国会中継を見て、安倍政権はやはり、国民を戦争に引きずりこもうとしてるんじゃないのか、と不安に思い始めた国民も多いはずだ。

だが、マスコミの動きは相変わらず鈍い。テレビは官邸の圧力に怯えて一部の番組以外はほとんど報道自体を放棄しているし、読売や産経などは安倍政権に尻尾をふって逆に安保法案の宣伝役を買って出ている有様だ。男性週刊誌も部数につながらないからか、安保法制を本格的に批判しようというところはほとんどない。

ところが、そんな中、意外なメディアが安保法案を俎上にあげ、戦争へと突き進む安倍政権に対して真っ向から“反対”の論陣を張り始めた。

普段は芸能人のゴシップばかり追いかけている女性週刊誌、たとえば、「女性自身」(光文社)は6月2日号でこんなタイトルの記事を掲載した。

「あなたの子供が“アメリカの戦争”に命を捨てる!」

この記事、タイトルだけでなく、内容もかなり踏み込んだものだ。政治評論家の森田実のコメントをメインに構成されているのだが、森田は安保法案の本質をこう指摘する。

「(11本の安全保障関連法案は)自衛隊が状況に応じて戦争ができる、あるいは戦争に加担できるように整備されています」

安保法案は「戦争ができるための法」と言い切る森田。森田のスタンスは保守でありながら、護憲主義者でもある。その森田は、武力攻撃の判断基準が曖昧なのは、時の政権が勝手に解釈して自衛隊の武力行使を容認できようにするためだとして、法案成立に躍起になる安倍政権の“ウラの思惑”をこう指摘するのだ。

「日本はファッショ政治に向かって動きだしたと言えますね。その政治が目指しているのは米国への従属です。つまり、今回の法案は、日本国民のためではなく、すべては米国のための安保法制なのです」

安保法案は日本国民を守るものではなく、“米国の戦争”に加担できるようにするための法。その証左として4月に安倍首相が行った米国議会での「安保法案を夏までに成立させます」という国際公約、さらにはアーミテージ元国務副長官の「日本の自衛隊が米国人のために命を掛けることを宣誓した」という発言を取り上げ、今回の法案の本質は、米国のために日本も戦争をする、命も投げ出すものだと、厳しく批判する。

だが、森田の批判は安倍政権だけに止まらない。それがナショナリズムに対する警鐘と、その後に続く恐怖のシナリオだ。

「ひとたび戦争が始まり、戦地で自衛隊員が1人でも死ねば、世間の空気は一気に変わってしまう。国民は敵国に対して“この野郎!”となるでしょう。そして大マスコミは敵国憎しで世論を煽る。ナショナリズムというのは一度感情に火がついたら抑えられなくなる。戦前もそうでしたから」

そして、森田は安保法案が成立すれば将来的に徴兵制が施行され、子供たちが戦場に送られる可能性もある。それをさせないためには母親たちが反戦の意思表示をすべきだと主張するのだ。

「今からでも遅くはない。多くの女性が立ち上がれば、戦争法案も覆せる可能性があると思います」

もっとも、女性向けのメディアがこういう報道をすると、保守系メディアや御用評論家たちから必ず返ってくるのが「女子供に向けた情緒的な誘導」「現実を見ない幼稚な意見」という反応だ。おそらく今回も連中はそういう論理で、この報道を軽視し、なきものにしてしまうのだろう。

だが、こうした上から目線の詐術に騙されてはいけない。本サイトで何度も指摘しているように、情緒的で非現実的なのは、安倍政権のほうなのだ。集団的自衛権容認、そして安保法は、安倍首相の「日米同盟を“血の同盟”にする」「アメリカ人が血を流している以上、日本人も血を流さなければ対等な関係になれない」というきわめて個人的な思い込みから出発したものであり、日本にもたらされる現実的なメリットはなにもない。

安倍首相は逆に、現実の国際政治においてさまざまなメリットをもたらしてきた「憲法の制約」を捨て、わざわざアメリカの戦争に巻き込まれ、テロの標的になるような状態をつくりだそうとしているのだ。しかも、その一方で、戦場に送り出すことになる自衛隊に対してなんの現実的なケアもしていない。

連中と比べれば、安保法制が国民ひとりひとりに、そして自分たちの子供に将来、何をもたらすのか、という視点で警鐘を鳴らしているこの「女性自身」の記事の方がはるかに、冷静で現実的だ。

実際、こうした安倍政権批判をしている女性週刊誌は今回の「女性自身」だけではない。 「戦争を知らない安倍首相へ――」(「週刊女性」主婦と生活社/2014年9月2日号)、「安倍政権V2で主婦のタダ働きの4年が始まる!」(「週刊女性」2014年12月9日号)、「イスラム国 安倍首相とネット愚民『2つの大罪』」(「女性セブン」小学館/2015年2月12日号)、「海外から見た『安倍政権の暴走』安倍さんは世界で“女性蔑視”だと思われている」(「女性自身」2015年4月21日号)……。 しかも、各誌とも、こうした記事が読者アンケートで上位を占めるようになっているという。

「戦争に加担する」ことが「現実的な大人の選択だ」と信じるバカな連中がどんどん幅を利かせるようになったこの国で、もしかしたら、女性たちだけは少しずつその生活者の目線で何が「現実的」なのかを見極め始めているのではないか。

安倍政権がいくら「日本国民の生命を守るため」「自衛隊のリスクは高まらない」といっても母親は騙せない。女性を、そして女性週刊誌を侮ってはいけない。

(伊勢崎馨)

参照元 : LITERA


2015/6/7JR新宿駅西口前で行われた、自民党青年部・青年局全国一斉街頭行動にて、国民から帰れコールを浴びせられる自民党の売国議員。一般女性から戦争反対の声も!

山谷議員と谷垣議員の演説が聞こえない程の抗議の声。国民から完全に嫌われている安倍自民党。




安保法案答弁でも嘘とヤジ…安倍晋三は小学生時代から嘘つきだったという新証言が…

2015.05.29

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これではNHKが中継を躊躇したのもうなずける。安全保障法案の国会審議が26日から始まっているが、NHKは初日の中継をしなかった。各方面からの批判を受けて翌27日からはようやく一般国民も論戦が視られるようになったが、分かったのは、とにかく安倍晋三首相の答弁がデタラメで、とてもまともな議論になっていないということだった。何を聞かれても正面から答えずに話をそらす。明らかな嘘をさも本当のように言い張る。バカの一つ覚えのように同じ答弁を繰り返す。

例えば「専守防衛」について。政府はこれまで「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使」する受動的なものだと説明してきた。それが今回の安保法制では、日本が直接攻撃されていない場合でも「わが国と密接な関係にある他国」が攻撃を受け、新しい3要件を満たせば、自衛隊が集団的自衛権を行使して反撃できる、としている。

単純に言えば、日本が攻撃されていなくても、自衛隊が反撃できるという話だ。これに対して民主党の長妻昭代表代行が「専守防衛の定義が変わったのではないか?」と質したが、安倍は「まったく変わりはない」と即座に否定するのだった。「(他国が攻撃された場合でも)わが国の存立が脅かされる事態なのだから、これを防衛するのは、まさに専守防衛」というのが理由だというが、これで納得する国民はいるのだろうか。

そもそも新3要件の最初にある「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」事態(存立危機事態)とはいったいどういう事態で、誰がどう判断するのか? 安倍の答えは驚くべきものだった。

まず、存立危機事態とは「国民に、わが国が武力行使を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」で、判断基準については「さまざまな要素を総合的に考慮し、客観的合理的に判断する」というのである。だ・か・ら、「国民に、わが国が武力行使を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」とはいったいどういう状況で、誰がどう判断するのかを聞いているのに、安倍はいっさい答えず、同じ答弁を延々と述べる。聞いているこっちの方がイライラする。

要するに、安倍は根拠がなくてもまったく気にならないのだ。得意の「アメリカの戦争に巻き込まれない」論は国会答弁でさらにバージョンアップした。「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない。そうした批判がまったくの的外れであったことは歴史が証明している」「戦争法案というのはまったく根拠のない、無責任かつ典型的なレッテル貼りであり、恥ずかしいと思う」とまで言い切った。根拠がないのはいったいどっちだ。

バカの一つ覚えといえば、「一般に海外派兵は認められていない」も耳タコだ。集団的自衛権行使が認められても、自衛隊が他国の領土、領海、領空で武力行使することはないと言いたいらしい。20日の民主党・岡田克也代表との党首討論でも「海外派兵は一般に禁止されている」「我々は、外国の領土に上陸して、まさに戦闘作戦行動を目的に武力行使を行うことはしない、とハッキリ申し上げておきたい」とキッパリそう言い切っていた。

ところが、安倍が執心するホルムズ海峡での機雷掃海について問われると、「『一般』の外だ。例外的に認められる」と言い出すしまつ。あるいは、「米軍の艦船が相手国の領海で襲われたら、自衛隊は何もしないのか?」と聞かれると、安倍は「極めて重要な当てはめをしていく」と武力行使の可能性を否定しない。平気で矛盾したことを言い切るのも、安倍答弁の特徴だ。

新安保法制によって自衛隊の活動範囲は全地球に及び、武器制限も大幅に緩和される。当然、自衛隊員が人を殺し、殺されるリスクは格段に高まる。ところが安倍はそれを絶対に認めようとしない。「自衛隊員の安全に十分に配慮しており、危険が決定的に高まるといった指摘は当たらない」「後方支援は危険を回避して活動の安全を確保した上で実施する。

新たな仕組み(新安保法制)はリスクとは関係がない」。安倍の理屈は、自衛隊の活動は安全な場所に限定し、危なくなったら退避するから安全だというものだが、その一方でこんなことも言っているのだ。「PKOや災害派遣など、自衛隊員は限界に近いリスクを負っている。新たな任務も命がけのものだ」。つまり、自衛隊はすでに危ない任務を負っているので、それ以上の新たなリスクが増えるわけではない、と言いたいようだ。だが、前者の「危険な場所で活動しないから安全だ」(絶対安全)と後者の「現状より危険は増えない」(相対安全)では、まったく意味が違うのは言うまでもない。

そうかと思うと、「日米同盟が強化されると抑止力が高まり、(自衛隊が)攻撃される可能性がなくなる」といった珍妙なことを言い出したりもする。要は、自衛隊員の命などうでもいいと思っているのだ。その本音が出たのが「木を見て森を見ない」発言だ。野党が自衛隊員のリスクについてしつこく質問してくることに対して、自民党の役員会で思わずそう漏らしたという。そして、ついに国会の答弁でも「(自衛隊員の)リスクはないとは言っていないが、日米同盟の強化によって国民全体のリスクは減少していく」と言い始めた。国民全体(森)の安全が保たれるのだから、自衛隊員(木)のひとりやふたり死んでも構わないという発想だ。

しかも、安倍本人が目の前にいる野党の質問者をやり込めることに夢中で、自分の発言が自衛隊員の命をないがしろにしていることに気づいていないから呆れるばかりだ。逆ギレや不適切発言もはなはだしい。「アメリカの戦争に巻き込まれるリスクがあるか」という再三の質問には「日米同盟強化でリスクが増えるとお考えか」と逆質問し、「なぜ、これほど急ぐ必要があるのか」という質問に答えられず、逆に「何か起こってからは遅いでしょう。あなたはそう思いませんか」と聞き返す。民主党の辻元清美議員が質問の趣旨を述べていると「早く質問しろよ」とヤジまで飛ばすしまつである。

こうした状況を見かねた政治学者の山口二郎氏が、ツイッターでこうつぶやいていた。〈安倍の頭は、安保法制の審議に耐えられるだろうか。だが考えようによっては、何も考えないからこそ、論理の破綻や矛盾に苦痛を感じず、一定時間をかみ合わない答弁で過ごして平気だともいえる〉。平然とウソをつき、罪悪感が皆無で、自分の行動の責任をとる気がいっさいない。以前、本サイトが指摘したサイコパス(反社会的人格)がまた証明されてしまったようだ。

このサイコパス的性格は、どうやら安倍の生育過程で培われたようなのだ。そのヒントになるのが元共同通信記者で政治ジャーナリストの野上忠興が「週刊ポスト」(小学館)に連載している「深層ノンフィクション 安倍晋三『沈黙の仮面』」だ。安倍家取材40年の野上が安倍の幼少期からの生い立ちを追い、その人格形成の過程を描いている。

問題の平気でウソがつける性格は、実は小学校時代からのものだったようだ。安倍には2歳年上の兄がいる。この兄弟の性格が対照的で、夏休みの最終日、兄は宿題の日記ができていないと涙顔になっていたが、安倍は「宿題みんな済んだね?」と聞かれると、まったく手をつけていないにもかかわらず、「うん、済んだ」と平然と答えたという。

ウソがバレて、学校側から1週間でさらに別のノート1冊を埋めて提出するようにと罰が出ても、本人がやらず、安倍の養育係だった女性が代わりにやってあげていたというのだ。一般人の子どもはウソをついたら必ず代償があると教育されるのが普通だ。ところが、安倍にはその経験がなかった。罪悪感が皆無で、自分のウソに責任をとらないまま、大人になってしまったようなのだ。

野上のリポートには、他にも興味深いエピソードが数多く出てくる。例えば、安倍の成蹊大学時代の恩師のこんな言葉だ。「安倍君は保守主義を主張している。思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代、そんな勉強はしていなかった。ましてや経済、財政、金融などは最初から受け付けなかった(後略)」。では、安倍の保守思想はどこから来たのか。

よく言われるのが、幼い頃、祖父の岸信介邸に押しかけた安保反対デモの中で「おじいちゃんは正しい」との思いを心に刻んだという話だ。野上氏のリポートには、これに加えて、家庭教師だった平沢勝栄(現自民党代議士)に連れられて東大の駒場祭に連れて行かれた時の話が出ている。当時は佐藤(栄作)内閣で学生運動が盛んな時期だった。駒場のキャンパスも「反佐藤」の展示や看板で溢れていた。そんなムードに、安倍は学生運動=「反佐藤」「祖父の敵」を感じたという。

このすりこまれた「左翼=身内の敵・おじいちゃんの敵」という生理的嫌悪感が、今も辻元らを相手にすると頭をもたげ、ついムキになってしまうということらしい。

国会答弁も、保守的な政治スタンスも結局、ようは小学生の幼稚なメンタリティの延長……。こんな薄っぺらい男の薄っぺらい考えによって、日本は「戦争をする国」に引きずられていくのだろうか。

(野尻民夫)

参照元 : LITERA


保守系学者までが違憲と…「安保法制が合憲」だという憲法学者は3人しかいなかった?

2015.06.05

安保法制は憲法違反だ──。昨日4日に開かれた衆議院憲法審査会に招致された3人の憲法学者全員が、現在、国会で審議中の安保法制を「違憲」であるとし、安倍政権に牽制をかけた。

しかも、招致されたひとりである長谷部恭男・早稲田大学法学学術院教授は自民党と公明党、次世代の党が推薦した憲法学者。しかし、長谷部氏は集団的自衛権の行使容認を「従来の政府見解の基本的枠組みでは説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがす」「外国軍隊の武力行使と一体化する恐れが極めて強い」と、安保法制の危険性をはっきりと指摘。憲法の専門家である学者たちにとって安保法制は現行憲法を無視したナンセンスなものであることが白日のもとにさらされた格好だ。

だが、こうした事実を断固として拒絶したのは、もちろんこの方、菅義偉官房長官である。同日4日に行われた会見で菅官房長官は「法的安定性や論理的整合性は確保されている。まったく違憲との指摘はあたらない」「憲法前文、憲法第13条の趣旨を踏まえれば、自国の平和を維持し、その存立をまっとうするために必要な自衛措置を禁じられていない」と、国会に招致した憲法学者たちの見識を批判しはじめたのだ。……いや、誰もあなたの憲法解釈など訊いていないし、第一、彼は司法試験でも受かったことがあるのだろうか。

しかも驚くことに、菅官房長官はこうも言い切ったのだ。

「まったく違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」

じゃあ、その憲法学者を呼んだらよかったじゃん!とツッコミたいところだが、しかし待て。ほんとうにそんな人物が、たくさんこの世に存在するのだろうか。

そもそも今回の参考人選定では、自民党は長谷部氏ではなく、党とのつながりもあり憲法学の権威と称される佐藤幸治・京都大学名誉教授を呼ぶ予定だったという。しかし、その佐藤氏も、安保法制について「丁寧な審議を通じて事柄の内容と問題点を国民に明らかにしないままに突き進むとすれば、日本の議会制・立憲主義の将来にどのような結果をもたらすか大変心配している」(朝日新聞/6月1日付)と発言している。自民党は、佐藤氏の招致断念の理由を“調整がつかなかった”と説明しているが、じつのところ、佐藤氏のこうしたスタンスを知って、改憲派の長谷部氏に鞍替えしたのではないのか。

“自分たちの味方だ”と思い込んでいた佐藤氏や長谷部氏といった保守系憲法学者からもことごとく安保法制にNOを叩きつけられる。──これが安倍政権の置かれた現状なのだが、しかし、菅官房長官は「違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と言った。では、その著名な憲法学者とやらは誰なのだろう。

だが、いくら考えても調べても、思いつくのはせいぜい3名しかいない。それは、西修・駒澤大学名誉教授と、百地章・日本大学教授、そして八木秀次・麗澤大学教授だけだ。参考人として国会に呼ばれた憲法学者のひとりである小林節・慶應義塾大学名誉教授も、昨日の審議会後に「日本の憲法学者は何百人もいるが、(違憲ではないと言うのは)2、3人。(違憲とみるのが)学説上の常識であり、歴史的常識だ」(朝日新聞より)と語ったというが、きっと小林氏の頭のなかにもこの3名の顔が浮かんだはずだ。

しかも、この3名は揃いも揃ってかなりのトンデモ発言を連発している面々なのである。

まず、西氏と百地氏は、2013年に産経新聞が発表した憲法改正草案「国民の憲法」の起草委員でもあるのだが、この中身が凄まじい。「日本は立憲君主国と国柄を明記」にはじまり、「天皇は元首で国の永続性の象徴」「国の安全、独立を守る軍を保持」「家族の尊重規定を新設」「国民は国を守る義務を負う」などなど、自民党の改正草案以上の戦前回帰ぶりなのだ。

この改正案からは西氏と百地氏のイデオロギーがありありとわかるが、実際、西氏は今年3月に開催された講演会でも「平和主義は日本だけのものではなく、非常事態に国民の権利を一部制限して対処することも当たり前になった」と発言。百地氏も「例えば国家そのものが存亡の危機にある場合、国益、国民全体の利益を守るためには、一時的に人権が制限される場合がありうる」(TBS『サンデーモーニング』/13年6月)と述べるなど、国家のために国民の人権も立憲主義も停止する悪名高い“緊急事態条項論”をもちだす始末。彼らの頭には“基本的人権”も“立憲主義”もない様子だ。

さらに、八木氏については、既報の通り、「正論」(産経新聞社)14年5月号で天皇の護憲発言を取り上げ、「両陛下は安倍内閣や自民党の憲法に関する見解を誤解されている」「両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない」と、安倍首相の擁護のためなら天皇をも批判する、保守ならぬ“安倍主義者”というべき論を展開。また、拉致問題解決のための集会後のデモで「全ての朝鮮人を東京湾にたたき込め」というシュプレヒコールが上がったことについても、「外国勢力の関与も疑われる」(「正論」15年1月号)とヘイト丸出しの記述を行っている。

──これがまともな憲法学者の態度なのか?と大いに疑問が湧いてくるが、一応、この3名のなかで唯一、憲法学の権威のひとりとされている西氏にしても専門は比較憲法学で、憲法の運用や条文解釈などの専門家ではない。また、西氏は安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」で有識者委員を務めていることから今回の審議会に招致することはできなかったのだろう。

一方、百地氏、八木氏にいたっては、「正論」や産経新聞では御用達なので保守界隈では著名なのかもしれないが、憲法学者としての知名度は低く、憲法学者というよりも政治イデオロギーを前面に押し出したタカ派論客、たんなる戦前回帰&ヘイト容認のネトウヨと同レベルの人物でしかない。結局のところ、安保法制を「合憲」と言うのはこの程度のメンツしかおらず、まともに憲法を専門にする学者ならば、とても合憲などとは言えないシロモノなのだ。

よくもまあこんな散々たる状況で「著名な憲法学者もたくさんいる」と言ったものだが、この菅官房長官の強気な態度と同様、安倍政権は学者たちの投げかけなどは無視して安保法制を強行することは明白だ。

ただ、今回の審議会における憲法学者3名が違憲としたように、このまま安保法制が国会を通過するようなことがあれば、違憲訴訟が起こるのは間違いないだろう。そこに一縷の望みをかける人もいるかもしれないが、残念ながら、司法はそう期待できるものではない。

というのも、もし数多くの権威ある憲法学者が安保法制は違憲だと主張しても、さらには安保法制がどう転んでも「合憲」とは判断できないものだとしても、権力になびいた最高裁は「統治行為論」をもち出して司法審査の対象外として逃げ切ることが予想されるからだ。

安倍首相はきっとそれを百も承知で、国会ですべての決着がつくと高を括っている。知の力でもこの暴走を止められないとなると、今後、日本はどうなってしまうのだろうか。

(水井多賀子)

参照元 : LITERA